五社英雄が描く極彩色の苦界 吉原炎上

明治40年の東京・吉原。誰も教えてくれない歴史。昔、川崎競馬場に行った帰り、ショートカットの歓楽街を通ってJR川崎駅まで歩いたことがある。女だとまず足を踏み入れる機会のないエリア、怖いもの見たさである。おりしも極寒の季節、毛皮のコートを着ていた私はそこで働く者と勘違いされたのか、好奇の視線を感じながら社会科見学気分で歩いた。あるショーウィンドウの中に女性が数名座っていたのに驚いたーこの映画を観てまさに昔の吉原のシステムだったことを知った。

吉原で働く女郎は、貧しい出自か、親の借金のカタに売られてきた女の子ばかり。でもここにいれば三度の食事にありつけると健気だ。冒頭の岸田今日子によるナレーションが印象的。吉原への道は二つあったといえましょう。男が通る極楽への道。女が通る地獄への道。名取裕子演じる主人公・ひさのも親の借金のカタに売られた身。先輩の花魁や女将から花魁道の手ほどきを受ける。殺し文句が大事。床上手で泣きのうまい子がお得意さんを作る。とにかくリピーターになってもらうこと。今のマーケティングと同じだ。美人はそれだけで傲慢だからダメ。なるほど。ふのりを局部に塗り、辛い行為に耐える女郎たち。ふのりとは、昔障子を張り替えるのに使ったのりだと聞いたことがあるが、そんな用途もあったのだ。今の世も代替物こそあれ同じか。ひさのは一生懸命学び、お披露目に臨む。客はガラス越しに女郎たちを値踏みする。川崎の歓楽街の光景がよみがえる。しかしいざ客を取る段になると激しい嫌悪を示し、脱走するひさの。その道中で根津甚八演じる救世軍に身を投じた財閥の御曹司・古島と偶然出会う。古島はひさのを救おうとして果たせず、しかしお互い忘れ得ぬ存在となる。昨年亡くなった根津甚八、味のある演技だった。

連れ戻され、折檻を受けたひさのに女郎の心得を教える先輩花魁・九重(二宮さよ子)。このレズビアンシーン官能的で迫力満点、生々しすぎて怖いくらい。二宮さよ子の色っぽさは格が違う。人気女優二人がこんなシーンを演じているのにちょっとびっくり。続いて藤真利子、西川峰子、かたせ梨乃演じる花魁&女郎のエピソードが綴られる。藤真利子演じる花魁・吉里は、本気で愛した男に去られて絶望して自殺する。西川峰子・小花は、没落した名家の出と吹聴しているがすべては嘘。最後結核で果てる姿がものすごい。かたせ梨乃・菊川は要領が悪いと下級の置屋に追いやられてもたくましく生き、結婚して幸せをつかむ。と思いきや旦那はとんだ食わせもので、最下層の女郎屋に身を落とす。最後、最高級の御職に上り詰め、紫太夫と名乗るひさのが唯一愛したのは古島だった。登楼しても決してひさのと床を共にすることはなかった古島。商品としてのひさのを買いたくはなかったのだろう。二人の気持ちは一つだった。しかしひさのは身請けしたいと古島が出した金を花魁道中に使いたいと言う。そして豪華な花魁道中が実現する。花魁道中と言う言葉、寡聞にして知らなかった。花魁がお供を連れて店屋まで練り歩く、いわばファッションショーのようなものだったらしい。黒塗りの高下駄を履いて外八文字と呼ばれる独特の歩き方を披露する。よくあんな歩き方を考え出したものだー当時のモンローウォークだろうか。

古島への思いは捨てきれないが、一度袖にした相手に縋るのは筋ではないと菊川に諭され、身請けしようといった別の男との結婚を決めるひさの。吉原を去るその日に吉原は大火に見舞われ・・・というラスト。重くて熱い2時間だった。五社英雄監督が描く極彩色の吉原絵巻。五社作品は、夏目雅子のなめたらいかんぜよで有名な鬼龍院花子の生涯にせよ、高知の遊郭を描いた陽暉楼にせよ、どろどろした重いトーンが特徴的だ。登場人物はみな暗澹たる人生の中でもがいている。その宿命的な暗がりに一瞬、生の歓び、艶が閃く。小花の壮絶な断末魔のシーンを含め、出血シーンが多いのは吉原と言う苦界に生きた女人の業を物語っているのだろうか。映画を観ていて、俳優から最高の演技を引き出す名手だったヴィスコンティを思い出した。五社監督もそうだったのでは。特に女優陣は演技指導の賜物と思わせるいい演技をしていた。花魁は遊郭の大黒柱。そこに携わるすべての人間の糧となる存在で高位の称号だからか、みな名前でなくおいらん、おいらんと呼んでいたのが印象的だった。花魁・・・美しい漢字だ。

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