もったいない

もったいないって厄介な感情。エコの観点からリサイクルのシステムにつながるもったいないは素晴らしいが、建設的なリサイクルシステムに結びつかないのに湧き上がるもったいないの感情が面倒なのである。半年ぐらい前に購入したルイ・ヴィトンのフレグランスミニサイズ7種。購入時にはわからなかった好みが、使い続けるうちにはっきりとわかるようになった。当然好きな香りばかり身に着けるようになり、そうでないものは減らない。でも決して廉価なものではないゆえ、もったいなくて捨てられない。家にいるときふんだんにつけてみたり、バスタブに入れたりしても、好きになれない香りではあまり幸せな気分にはなれない。もったいなくて捨てられない。ものがなかった時代、何でもそこにあるものを大切にしようとする精神とは違う。ある意味しみったれた感情だ。

幼少時からものを粗末にするなと教育されてきたが、圧倒的な消費と生産を繰り返した20世紀末のバブルの時代はその教えに逆行し、価値観を覆した。みな気前よく金を使い、そのおかげで経済も回り巷にはいいものが溢れていた。そのころ好きだったある歌手が大のフライトアテンダント(当時はスチュワーデス、花形職業だった)好きで、僕の彼女のフライトアテンダントはストッキングは一度はいたら捨てていると豪語していたっけ(*_*)それはそうと、大手広告代理店の宣伝行動は恐ろしい。全く必要ないものを必要と錯覚させるのだから。知らず知らずに洗脳されていた自分の浅はかさが情けない。若気の至りって本当だ。では年を重ねて賢くなったのかと言えばそれも疑問だが。人間は時代と社会の枠組みの中で生きる存在なのだとつくづく思う。バブルのころは見向きもされなかったもったいないが、今では当たり前の価値観なのだから。ガリレオとかコペルニクスとかニーチェとか、そういう枠組みを飛び越えて物事の本質を看破してしまったような人々ってやはり天才なのだ。

一度だけリサイクルショップに行ったことがある。捨てるのはもったいないと思ったのか、不要になったものを集めて持ち込んだのである。わかってはいたが異常な安値で買い取られ、もう二度と行くまいと思った。安く買って高く売る阿漕な商売に加担するものか。それなら捨てたほうがましだ。そんなわけで、ある時いらなくなったルイ・ヴィトンのバッグを不燃物としてごみに出した。私の住む自治体ではごみは戸別収集で、家の前まで取りに来てくれる。30分後ぐらいに追加の不燃物を出そうと家を出たら、不燃物用の袋の中からそのバッグだけ抜き取られていた。巡回して金目のものを狙っている輩がいるのだろう。不要だから捨てたとはいえ、ごみを漁られるのはいやな気分で忘れられない。もったいないに振り回されたくないときっぱり捨てて、自分としては高貴な精神を発揮したつもりだったのに報われず、いやな気分を味わったのがたまらないのだろう。これは一つのエピソードとして・・・やはりもったいないに囚われるのはよくない。形あるものへの執着は心の貧しさを物語る。”我々は全てを得るが、その全ては無でしかない”と言ったのは哲学者でもあったローマ皇帝マルクス・アウレリウスだが、まさしくその通り。人間は、裸で生まれ裸で死ぬのだから、所有とはある意味幻想なのだ。

今日はルイ・ヴィトンの香水が予定外の思索の旅に連れて行ってくれたような気分。物に引きずられることなく、自分だけの価値観を築きたいものだ。しかし肝心の香水に関しては・・・しばし処遇を考えるのだろう( ;∀;)

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