ある微笑 パリからリヴィエラへ…ひと夏の恋は甘くて残酷

20世紀のフランス人作家で最も商業的に成功したフランソワーズ・サガン。18歳で書いた処女作・悲しみよこんにちはの世界的ヒットで若くして巨万の富を得、時代の寵児になった。日本でも彼女の著作は多数翻訳され、多感な文学少女たちに多大な影響を及ぼしたと思われる。私も10代の頃悲しみよこんにちわを読んで衝撃を受けた。小説の内容にーというよりは、それを書いたのが18歳の女の子だという事実にだろう。もちろん、18歳の女の子が書いたとは俄かには信じがたい完成された小説世界に驚嘆したのも事実。彼女のその後の波乱万丈の人生は有名だが、21世紀の日本では彼女を知らない人も多いだろう。もともと裕福なブルジョワ家庭に生まれ、恵まれた少女時代を過ごしたサガン。幼い頃から大変な読書好きだったという。ペンネームのサガンは、彼女が最も敬愛した作家・プルーストの小説の登場人物からとったものである。デビュー作が大変な評判を取った後で彼女は、次の作品をみなが機関銃を構えて待っているのを知ってるわと語った。プレッシャーに押しつぶされることなく、いわば精神的包囲網を突破して発表されたのがこの”ある微笑”であり、個人的にはサガン作品の中で一番好きな一篇である。

ソルボンヌ大生のドミニックにはベルトランという同級生の恋人がいる。ある日ベルトランの叔父である旅行家の男性・リュックに紹介され、ドミニックは強く惹かれていく。彼は気軽に浮気を楽しめる男で、妻のフランソワーズの存在はそれと弁え、ドミニックを誘う。二人の男性の間で揺れ動くドミニックは、慣れ親しんだパリの街が違った顔を持っていることに気づく。恋する人間がよく経験するジャメ・ヴュの世界。ドミニックにとって、パリは美しい黄金色の硬い都であり、決して人に騙されない都。そのパリの明け方、夜通し遊び疲れてベルシイ河岸から眺めるセーヌ河は、おもちゃの中に座った悲し気な子供のよう、と何とも心憎い表現をするサガン。ベルトランの別荘に招待されたドミニックはリュックとフランソワーズと共に休日を楽しむ。ドミニックは、まだ海を見たことがないと言ってみなを驚かせる。するとリュックはすかさず、見せてあげるよ、と言う。女心を知り尽くした男の手管。夕食後、リュックがドミニックを散歩に誘い、二人は初めてキスする。ベルトランの場合、キスはすぐに次の欲望に取って代わり、不要になってしまう、いわば欲望の一段階でしかないが、リュックとのキスは何か尽きることのない満たされたものだった、と成熟した男性の恋のマジックに落ちていく女性を表現するサガン。熱いキスに酔いながら、”私は自分が怖かった、彼が怖かった、その瞬間でないすべてのものが怖かった”と言うドミニックは、幸せを永遠に保存することなどできないとわかっている。幸せの絶頂にいてもただそれに浸りきるのではなく、かけがえのない時間が過ぎ去り、失われることへの恐怖を覚えてしまうのは人間の性だろう。

フランソワーズ・サガンは24歳で最初の結婚をしており、その相手はギ・シェレールと言う大手出版社アシェットの重役で、彼女より20歳近く年上だった。夜遊びが大好きな妻と早朝から乗馬に出かける夫ではライフスタイルが違いすぎ、結婚生活は長くは続かなかったものの、彼女は若いときから中年男の魅力に敏感だったのだろう。悲しみよこんにちはの男やもめの父にしろ、ある微笑のリュックにしろ、サガンの小説で魅力的に描かれているのは中年男性ばかりで、若い男は頼りなく、時に滑稽なカリカチュアとなっている。ドミニックは初めて会ったリュックを、灰色の瞳を持ち、疲れた様子をしていてほとんど悲し気だった、ある意味で彼は美しかった、と描写している。早熟な文学少女・サガンらしい感性だ。自分に置き換えてみると、若い頃は若くて見栄えのいい男の子にしか興味はなかったので、ある微笑を読んでいてもなぜこんなおじさんがいいのかと不思議でならなかった。本題からは逸れるが、実家に帰省したドミニックが川で水切りをする場面がある。水切り=ricochet。ちょうどそのころ、ボウイのアルバム・Let’s danceが流行っていて、その中にRicochetという歌が収録されていた。相乗効果でricochetがいともたやすく記憶に刻まれたのが嬉しかった。

閑話休題。夏休みを実家で過ごしていたドミニックはリュックから、今アヴィニヨンにいますとの手紙を受け取る。迷うことなくアヴィニヨンに向かうドミニック。しかし田舎の両親の家を発つ時、初めて両親の庇護の外に出る気がしたという彼女はやはり不安だったのだろう。アヴィニヨンからリュックの車でサン・ラファエルに向かう途中、ドミニックにとって初めての海が広がる。素晴らしい景色。海の美しさに驚嘆する一方で、ドミニックはリュックが得意気に海を見せて彼女の反応をうかがうのではないかと恐れた。リュックは、ただ海を指さして、ほら海だよ、と言っただけだった。そのさりげなさ。かっこよすぎるおじさんリュック。二人の傍らで夜の海は灰色になるまで褪せていく。ここはある微笑の中で一番美しいシーンだと思われる。カンヌの高級ホテルに投宿し、昼間は海を、夜はバーでの時間を楽しむ二人。休暇はいつしか終わる。二人はここが旅先だということを正視したくない。パリに戻ればお互いそれぞれの場所に帰るしかないから。そんなことには慣れっこのリュックはそれでよかった。しかしドミニックは本気で彼を愛するようになってしまう。

パリでは、何事もなかったように再びリュック、フランソワーズ、ベルトランとで昼食を共にするドミニック。リュックはカンヌでよく聴いたレコードをかける。二人の思い出が詰まったレコードだ。このメロディーが大好きだと言ってドミニックに微笑するリュックにとって二人の愛はもう過去のものだった。ドミニックの変化に薄々気づいていたベルトランは彼女を去り、ドミニックは独りぼっちになってしまう。孤独と苦しみの日々。報われない愛。しかしある時彼女は鏡に映った自分の顔に微笑みが浮かんでいるのに気づく。彼女は声に出して呟く。独り。独り。でもそれが一体なんだ?私は一人の男を愛した一人の女だった。それはごく単純な物語で、もったいぶることもないのだ。多くは語りたくはないのよ、とばかりにシンプルに一つの愛の物語を終わらせるサガン。10代の自分にはとってもおしゃれな大人の世界に思えて、悲しみよこんにちは以上にこの作品に惹かれたのだった。

数年前、サガンの人生が映画化された。とにかく女性とは思えない破天荒な生き方をした人なので、映像化するにはうってつけの素材だったと思う。彼女の書いた小説以上にドラマチックな人生なのだ。早すぎた成功がその後の人生を狂わせたのか、彼女が引き起こしたスキャンダルの数々は、若くして成功を収めた聡明な作家の仕業とはとても思えない。1954年からの4年間にサガンが手にした印税は当時の日本円にして約1億円と言われ、彼女はそれをスポーツカーに、ナイトクラブに、ギャンブルに、湯水のごとく使った。気前のいい彼女は、友人や見知らぬ人にまで大盤振る舞いをしたという。古きよき時代のお嬢様、パリジェンヌって感じ。彼女は物凄いスピード狂で、そのために自動車事故を起こし九死に一生を得ている。そんな大事故にも懲りず、その後も夜のパリを200キロで飛ばすのが好きだったってやはり普通ではない。また、無類のギャンブル狂でもあり、家を担保に入れたり、一夜で何億もすってしまったり、フランスの賭博場から出禁を食らえばロンドンにまで出かけていくという情熱の持ち主だ。”賭博”というタイトルでエッセイもものしている彼女は、21歳(当時の成年)になったその夜、意気揚々と初めてカジノの扉を叩いたと書いている。根っからのギャンブル好きだったのだろう。映画では、生前彼女が公にしてはいなかった同性愛のことも描かれていた。サガンはバイセクシュアルだったようで、より女性を愛した。ペギー・ロッシュという女性が長年に亘るパートナーで、癌で彼女を失ったときは半狂乱に陥った。晩年は莫大な借金と孤独に苛まれ、薬物中毒でもあったサガンは、準備していた自らの墓碑銘をこう結んでいた”人生と作品を手際よく片付けたが、その死は本人だけの事件だった”。2004年、心肺代謝不全で69歳で死去。

若き日、我が世の春を楽しんだ人も一生幸せに過ごせるとは限らないが、サガンが晩年、失意の底に沈んでいたとは胸が痛む。華々しい栄光とのギャップがよけい悲しい気持ちにさせるのだろう。人並み外れた才能に恵まれながらそれを計算高く使うことを知らず、人に食い物にされたところもあった人生だったのか。しかし、長い間人生を楽しみ、遊んだので何も後悔していないと言い放つ頼もしさがまたサガンの魅力でもある。写真を見ると、左右の目の大きさが少し違う。そういう人には天才が多いと聞いた。誰よりも聡明なその目で、人間を、人生を見つめて生きたサガン。衝撃のデビュー作が10代の女の子を主人公に夏のまばゆいばかりのフレンチ・リヴィエラを舞台にしていたせいか、今でもサガンというと、過ぎてからこそわかる祝福された季節・青春の輝きが蘇ってくる。

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