ラストタンゴインパリ ミッドライフクライシスの痛み

芸術か猥褻か、論争があったことを思い出す。チャタレイ夫人の恋人然り、サド然り。10代の頃ラストタンゴインパリのポスターを見て、それこそ猥褻感たっぷりなので嫌悪と恐怖さえ覚えた。当時はポルノグラフィの規制もゆるく、今では信じられないような画像が街中にあふれていた。暗殺の森ですっかり魅了され、ベルトルッチは畏敬の念を抱かざるを得ない映像作家なのに、おそらくそのポスターのせいでラストタンゴインパリはいやらしい映画との先入観ができあがってしまい、若い頃は怖くて観る気がしなかった。それが数年前、あるバーでアルゼンチンタンゴのアルバムを聴いて大層気に入り、タンゴの名曲が使われているこの映画を観ようと思い立ったのである。フランシス・ベーコンの絵が映し出される導入部から観入ってしまった。男女の爛れた関係を描いた映画と言われもするが、私にはミッドライフクライシスが痛いほど感じられて身に染みた。年を取ってから観てよかったのかも知れない。

ブルジョワの若い娘(マリア・シュナイダー)が、妻に自殺された中年男(マーロン・ブランド)と偶然出会い、関係を持つ。二人はお互いの素性を何も知らないままアパートの一室で密会を重ね・・・と男性にとってはたまらないようなストーリー。宣伝のためにせよ性愛描写ばかりが独り歩きしてしまい、いい映画なのに勿体ない。妻の無残な死をきっかけに、それまで男が抱えていた苦悩が一気に噴き出して彼を蝕んでいく。棺に納められた妻の遺体を前に、彼は自分たちの奇妙な結婚生活(妻には愛人がいた)を振り返り、そんな関係に苦しみながらもどんなに彼女に恋い焦がれていたかを語る。深い悲しみに満ちた心に残るシーンなのだが、裏話によるとブランドは一切セリフを暗記して来ず、カンペを部屋中に貼り巡らしてそれを頼って切り抜けたそうで、カンペを見る様子が歴然だとか。それでもあんな演技をするブランドが凄い。劇中の彼はもし若かったらあのような末路は辿らなかっただろう。もう人生を軌道修正するには遅い年齢に達してしまい、堕ちていく辛さ。過激な性描写は、あの男が壊れていく様子を物語るのに必要だったのかとも思える。

特に好きなのが、ビルアケム橋で二人がすれ違う冒頭のシーン(妻の死を受けてブランドは泣いている)とラスト近く、ブランドがタンゴを踊るシーン。裸体のラブシーンより断然いい。やはり名優は着衣で勝負だ。当初ブランドの役にはジャン=ルイ・トランティニャンが、シュナイダーの役にはドミニク・サンダが予定されていたのが、サンダの妊娠によって叶わなかったのだそうだ。暗殺の森のコンビーもしその二人を配していたらどんな映画になったのか想像がつかない。マリア・シュナイダーのいかにもいわくありげな胡散臭い雰囲気とブランドのうらぶれた中年男ぶりがぴったりだっただけに・・・途中、マリア・シュナイダーと恋人の話も語られるものの妙にミスマッチだった記憶がある。恋人役は頼りなさそうなジャン=ピエール・レオで、強烈な個性を持つマリア・シュナイダーにはどうにもそぐわない。

全編を通して流れるガトー・バルビエリのタンゴは言うまでもなく素晴らしい。官能的ながら不安を誘う孤独感もあり、彷徨える魂を象徴しているようで・・・小田和正の”ラブストーリーは突然に”のサビの部分がこれに似ていると思うのは私だけ?

ブランドは生前、これはベルトルッチによる精神分析の映画だと語ったそうだ。しかし自分でも本当は何の映画なのかわからないと。多様な解釈が許される芸術作品ほど奥行きがあるのだろう。それにしても、20代で暗殺の森を、30そこそこにしてラストタンゴインパリを撮ってしまうベルトルッチとは何者だろう。観終えた後、猥褻などという言葉は遥か彼方に消えていた。心に残ったのは煽情的なラブシーンではなく、すでに若さを失い、蹉跌を来した人生のぬぐい切れない汚点に満ちた重みに耐えかね、救済を求める男の孤独で痛ましい姿だった。

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