通りゃんせ 府中競馬正門前から競馬場へと向かう渡月橋

どんなに負けても、金が尽きようとしていても、金曜の夕方から元気が漲り、土曜の朝は希望に燃えて東京競馬場に出かける。人間は楽観的な生き物だというが、それにしても毎週このリズムを繰り返して生きている自分が不思議だ。京王線の府中競馬正門前駅で電車を降りて、そこから競馬場へと向かう道は私にとっては渡月橋だ。眼前に広がる競馬場の景色は四季折々に姿を変え、3月の桜、春の東京開催が始まる頃のみずみずしい新緑、夏競馬のさなかの力強い深緑、天皇賞秋からジャパンカップへと移る季節の深まりと共に黄金色の輝きを増す紅葉、落葉の後の寂しい冬枯れまで、どれも東京にいながら観光名所を訪れている気分にさせてくれる。

土曜も日曜も、朝は意気揚々と晴れやかに渡月橋を渡る。今日こそ獲れる、と根拠のない予感にはやる胸を抑えて。そして帰りの渡月橋はため息をつきながら歩く日が圧倒的に多い。その時いつも思うのだー通りゃんせの歌を。♪行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも通りゃんせ通りゃんせ♪行きはいいけど帰りは大変、でもさあさあお通りなさいよ、と競馬の神様(悪魔?)が渡月橋の手前で誘っている。そうと知りつつ通ってしまい、帰りに己の愚かさに気づく。競馬に魂を売った者の性か、競馬愛好者ならだれでも通る道だ。神隠し伝説をはじめこの歌の由来には諸説あるが、なんだか不思議で怖い歌。

そして打ちひしがれて府中の町を歩いていると、5時を知らせる”遠き山に日は落ちて”のメロディが流れる。これがまた淋しいー特に日が短くなっていくこの季節は。それでもまた週末の朝は希望に燃えて東京競馬場に行くのだろう。朝は通りゃんせの歌詞を、そんなことないよと思う。帰りはあああの歌の通りだったと肩を落とす。もう何週このパターンを続けていることか。でも、競馬を嗜まなければ通りゃんせを味わい深く思うこともなかっただろうし、人生に新たな発見を与えてくれる競馬はやはり素晴らしいと感慨にふける私である(+o+)

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