コックと泥棒、その妻と愛人ーピーター・グリーナウェイ 悪趣味の美学

1990年の日本公開当時、衣裳がジャン=ポール・ゴルチエ担当ということで舞い上がって観に行った。ゴルチエはその才能の絶頂期だったのではないだろうか。尼さんルックにボンデージ、衝撃のデザインを発表してはファッショニスタを魅了していたゴルチエは、若かりし自分には手は届かないものの憧れの存在だった。映画の内容自体は二の次、頭の中はゴルチエの衣裳でいっぱいで、胸を高鳴らせて足を運んだ映画館でまさか気分が悪くなるとは。それまでにもグリーナウェイの作品は観ていた。Zooにせよ、英国式庭園殺人事件にせよ、数に溺れてにせよ、どれもかなり異常な世界観を示しており、免疫はできていたつもりが甘かった。このコックと泥棒、その妻と愛人はグリーナウェイのエッセンスを昇華させたようなエログロの極みの世界で、正視できなかった。ニーチェの”深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”ーではないけれど、グリーナウェイの作品に描かれる地獄絵巻を覗くとその中に引きずり込まれそうで怖い。だがなぜか見てしまう。怖いもの見たさの人間の性なのか。

グリーナウェイはもともと画家を志していて壁画を描く勉強もしたそうで、なるほどあるインタビューで、自分は俳優を人間としては見ない、風景の一部として見ると語っていた。作品の絢爛豪華な映像美は美術の素養に裏打ちされたものだろう。この映画では高級フレンチレストランを舞台にそこを根城として我が物顔にふるまう泥棒と、それに辟易しながらなすすべのないシェフ、泥棒に虐待されているその妻、その妻に惹かれ愛人となる学者の男を通して、欲望に溺れる人間の醜悪な姿を描いている。グリーナウェイの作品はどれも随所に偏執的なこだわりを見せる。ここでは部屋を移動したりシーンが変わったりすると、セットや俳優たちの衣裳を含めすべての色が変わるという趣向を凝らしている。赤から黄色、青、緑などへとめくるめくようにスクリーンが変わっていくのだ。その中でゴルチエデザインの前衛的な衣裳を着こなす泥棒の妻・ヘレン・ミレンの美しいこと。そこで展開されるのは悪趣味な愛憎劇なのだが。

豪勢な料理がふるまわれているレストランのテーブルを離れてトイレで密会する泥棒の妻と学者。これもグリーナウェイのこだわりなのだろう、彼は対照を成すものを好んで取り上げる。飲食の場に排泄の場、贅沢なドレスに裸体、性的快楽とむごたらしい暴力、など。豚の頭が壁にかかっているレストランの厨房や腐敗しかけた肉に蠅が飛び交い異臭を放つ食肉運搬車の中で裸で密会するって発想がまたディヴァイン。名優たちによくあんな演出を納得させるものだ。食欲と愛欲に耽溺し、身を滅ぼす話と言えばマルコ・フェレ―リの最後の晩餐などというのもあった。西洋人の生への執着って凄まじい。二人の関係は泥棒の知るところとなり、悲劇的ーというか想像を絶する結末を迎えるー泥棒の一味に無残に殺された愛人の遺体をシェフに頼んで調理?させ、泥棒に食べさせる妻ってこれはもうディヴァインどころの騒ぎではない。破局に向かって、泥棒の虐待を受けてきたレストランのスタッフ全員を従え、料理に見立てた愛人の遺体を泥棒の許へと運ばせる妻の威厳に満ちた迫力といったらない。ヘレン・ミレンは最後のこの演技のために役を引き受けたのではと思うほどだ。妻にピストルを突き付けられ人肉を食らわされた泥棒は嘔吐し、人食いと罵られて撃たれる。おぞましいシーン。確かそのあとレストランのメニューが取り澄ました様子で映し出されて終わり・・・圧巻の結末だった。

その後もベイビーオブマコン、枕草子とグリーナウェイ作品を見た。特に前者は再びエログロ色が強い作品で、上映終了後、おそらくは衝撃のあまり俄かには立ち上がろうとしない観客が多かった。私も然り。グリーナウェイにはいつも悪趣味の美学を感じる。人を不快にさせるテーマやモチーフを独自の審美眼でスタイリッシュに描き、ワンシーンごとを一幅の絵のように仕上げる。そこには賛否両論を醸し出す芸術作品にありがちな背徳とか頽廃、倒錯などという概念は存在しない。彼自身が善悪の彼岸にいるからだ。こちらも好きな映画であるジュテームモワノンプリュを撮ったセルジュ・ゲンズブールにも悪趣味の美学を感じるが、彼の場合はどこかにシャイで繊細な素顔が見え隠れする。グリーナウェイのそれはゲンズブールのとは全く違う・・・純然たる愉楽の世界に屹立し、理想の実現のために冷徹な采配を振る巨人と言ったイメージがある。他に類を見ないアーチストだ。

多くの作品でコンビを組んだマイケル・ナイマンがコックと泥棒・・・でも音楽を担当していて、これがたまらなく好き。破滅に向かって進行し、クライマックスへと高まる物語を導いていくドラマチックなメロディ。以前、遊びに来た友人の前でこの曲をかけていたら、美しくないから止めてくれと言われた。グリーナウェイの映画に寄せたナイマンのスコアは確かに癖があってアクが強い。そこが彼の持ち味だと思っていたのが、その後ジェーン・カンピオンのThe pianoに書いたThe heart asks pleasure firstを聴いてびっくり。心はまず歓びを求める、のタイトル通り、恋した相手を求めて高まり、揺れ動く感情を切ないながらも官能的に表現していて、とても同じ人の手によるものとは思えない。天才だ。さすがグリーナウェイが長年コンビを組んだ相手、才能は才能を呼ぶのだろう。

 

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