双頭の鷲 変幻自在のアーチスト・コクトーが贈る格調高いロマン

ジャン・コクトーの戯曲の映画化作品。原作は、コクトーが主演の二人、エドヴィージュ・フィエールとジャン・マレーを想定して書いたもので、ジャン・マレーが自伝”美しい野獣”の中で面白いエピソードを紹介している。マレーはコクトーに、あらかじめこう伝えた”第一幕では一言も話さず、第二幕では歓喜の涙を流し、第三幕では階段から仰向けに落ちる”役がやりたいと。コクトーはマレーの希望をすべて叶えて、この作品ができあがったのである。若き日、輝くような美男子・ジャン・マレーが端役で舞台に出てきたとき、コクトーは蒼白となってあれは誰だと尋ねたという。二人は実生活でも長い間恋人同士だった。

絶世の美女との誉れ高い女王(フィエール)は、王の死後決して人前には出ないながらも国を治め、国民の信任を得てきた。それが気に入らない亡き夫の母・大侯爵夫人は女王暗殺の機会を狙っている。若き美貌の無政府主義者・スタニスラス(マレー)は、唆されて刺客として雇われる。女王主催の舞踏会が催されている城に忍び込んだスタニスラスは、おりしも雷雨の中警官と犬に追われ、命からがら女王の部屋にたどり着く。舞踏会には出ず部屋に閉じこもっていた女王は、亡き王に生き写しのスタニスラスを見て驚き、同時に彼が刺客であることを見抜く。女王は王の死後、死だけを待ち望んでいたのだ。スタニスラスは、女王を愛する王のもとへ導くいわば死の天使なのである。傷を負ったスタニスラスを手厚く介抱した女王は、彼を読書係に任命し、時を過ごすうちに二人の間には愛が芽生える。女王を愛してしまったスタニスラスに彼女を殺すことはできない。

最後の朝。遠乗りに出かけた女王の帰還を待ち、城の前庭には近衛兵たちが列をなす。刺客としての使命を果たせず、自殺しようと毒をあおったスタニスラスは、最期に女王に愛の言葉を求める。その懇願を一蹴し、女王は無礼者と罵る。逆上したスタニスラスは女王の背に短剣を突き立てる。女王は殺してほしいから罵った、わたしはあなたを愛していると言い残して、近衛兵たちに一礼を授けようと階段をのぼり、息絶える。スタニスラスは女王に駆け寄ろうとするが、力尽きて階段から転げ落ちる。マレーは最初は傷ついた刺客として登場するので一言も話さず、女王と愛し合うようになって喜びの涙を流し、最後、死に際して階段から転げ落ちる。希望通り。エドヴィージュ・フィエールの威厳に満ちた優雅な皇妃、ほかの女優ではちょっと考えられないような名演で、淀みない長台詞のシーンは圧巻だ。衣裳とか部屋の設えなども贅沢で、モノクロってところがさらにクラシカル。観客を陶然とさせる格調高いドラマなのだ。

 

女王が亡き夫にそっくりの暗殺者と恋に落ちてしまうって設定がたまらない。なぜ禁断の愛って人の心を揺さぶるのだろう。考えてみれば不思議だ。双頭の鷲とはさまざまな国家や貴族の紋章として使われているが、コクトーが想定しているのはハプスブルク家で、19世紀末、世界で最も美しい王妃と讃えられながら暗殺されたエリーザベト皇妃にインスパイアされた物語なのだろう。初めて見たコクトーの映画は夢と現実が錯綜するオルフェで、マレー扮する詩人のオルフェに恋してしまう死の国の王女にマリア・カザレスを配していた。死の国にオルフェを連れてくることもできたのに、オルフェにインスピレーションを与えて自分の恋をあきらめる王女。マリア・カザレスは暗い情熱を秘めた悲劇的な美貌の持ち主で、こちらもやはり気品と威厳が際立つ演技だった。トリスタンとイゾルデを現代風にアレンジした悲恋(これはコクトーが脚本を担当)もよかった。気がつけばどれも禁断の恋の物語。だからよけいに心惹かれるのだろうか。コクトーは多芸多才の人で、映画に限らず、詩、小説、絵画にも才能を発揮した。どれをとっても天性の趣味の良さと良心が感じられる。よく、何でもいいから一つのことに集中できたらもっといいのだがと語っていたそうだ。凡人にはうかがい知れないが、あらゆる才能に恵まれすぎるというのも贅沢な悩みなのだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です