ドミニク・サンダ パリの香りを漂わせる最後の女優・ファムファタル

白皙の美貌にダークブロンド、長い脚。とにかくきれいな人だった。憧れをかきたてる神々しい美しさで、ファムファタルがよく似合った。初めて観たのは若き日のベルトルッチの傑作・暗殺の森だっただろうか。パリのブルジョワ家庭に生まれながら15歳で結婚しすぐに離婚、ファッションモデルから女優に転身したという実生活での早熟なプロフィルも手伝って彼女には興味津々だった。本名はドミニク・ヴァレーニュ。サンダという芸名の由来について彼女は、ただSで始まる言葉が好きなだけ。だからSANDAとつけたと答えており、そのシンプルな理由も素敵に思えた。ファシズムの吹き荒れるイタリア、親子ほど年の離れた反ファシズムの大学教授の若き妻・アンナというのがサンダの役だった。教授の教え子であるファシストのマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が、組織から教授の身辺調査の命を受け、教授の家を訪ねるシーン。煙草をくゆらせ、芝居がかったポージングで彼を案内するアンナは、それまでにない女性像を体現していたというか、自由闊達に生きる進歩的な女として強烈な印象を残した。もちろんマルチェロは一目で彼女に惹きつけられる。

この映画自体が私には忘れられない一編。いずれ映画のカテゴリで暗殺の森のタイトルで書きたい。モラヴィアの小説の原題は体制順応者。それに暗殺の森という邦題をつけたことで、より多くの日本の映画ファンの心をわしづかみにしたと思われる映画会社の功績は大きい。ファシズムが荒れ狂う重苦しいムードのイタリア、ストーリーは重いが、サンダの溜め息をつくような美しさは一瞬ファシズムの恐怖を忘れさせてしまう。イヴニングを纏い、ステファニア・サンドレッリとダンスを踊るシーンは同性愛描写と騒がれ、確かになまめかしい。思い起こせばベルトルッチの同胞の大先輩・フェリーニの81/2にも、マストロヤンニ演じる主人公の妻・アヌーク・エーメと、不倶戴天の仲であるはずの愛人が仲良さそうにダンスのステップを踏むシーンがあった。ベルトルッチも影響を受けたのか?とどうしてもサンダを語ると暗殺の森に深入りしてしまう。ファシストの組織は教授の暗殺を命じ、教授はアンナを伴って車で雪の森を移動する途上でめった刺しにされる。その後アンナが銃で撃たれ森の中で顔を血で染めて無残に暗殺されるシーンは何度観ても痛ましく、震えが走るほどだ。

すっかり彼女に魅了されて次に観たのがツルゲーネフの原作をマクシミリアン・シェルが忠実に映画化した”初恋”。これもまた、名作!16歳のアレキサンダー(ジョン=モルダー・ブラウン)は、夏に訪れた両親の別荘の隣の敷地に家を借りた公爵一家の美しい一人娘・ジナイーダ(ドミニク・サンダ)に一目惚れする。彼より少し年上で、どこか神秘的ではかり知れないジナイーダ。初めての恋に気も狂わんばかりの日々を過ごすアレキサンダー。奔放な彼女の魅力に翻弄されるうち、彼は恋する者の直感で、彼女も誰かに恋していることに気づく。彼女目当ての男は何人もいたーしかし一体誰に?はやる心をおさえるアレキサンダーだったが、ある日偶然、ジナイーダは父の愛人だったことを知る・・・打ちのめされるアレキサンダーの描写は原作以上で胸に迫った。公爵令嬢ともあろうものが、自分の前途を台無しにしてまでなぜ妻帯者である父を愛したのか。理解に苦しんだアレキサンダーは不意に悟る。それが恋なのだ、それが情熱というものなのだと。サンダの透明感溢れる美しさはジナイーダにぴったりで、ツルゲーネフも納得したのではと思われる。映画を観てもう一度原作を読み返したくらい、胸を打つ初恋の物語だった。

ロシア語は全くわからないので翻訳に頼るしかないが、翻訳も美文なのである。以下神西清訳から引用”ああ、青春よ!青春よ!お前はどんなことにも、かかずらわない。お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとり占めにしているかのようだ。憂愁でさえ、お前にとっては慰めだ。悲哀でさえ、お前には似つかわしい。お前は思いあがって傲慢で、”われは、ひとり生きるーまあ見ているがいい!”などと言うけれど、その言葉のはしから、お前の日々はかけり去って、跡かたもなく帳じりもなく、消えていってしまうのだ。さながら、日なたの蠟のように、雪のように”。数年後、ジナイーダが結婚し、難産の末死んだことを知ったアレキサンダーの言葉である。漲る力を持て余す若者に甘い夢を与え、洋々たる可能の未来を見せてくれる青春は、束の間のはかない夢であると、誰もが過ぎ去ってから知る。気づくときには遅すぎる。

私にとってのドミニク・サンダはこの二作に尽きるーとはいえ、16歳のデビュー作・”やさしい女”の彼女もまた美しい。監督のロベール・ブレッソンは芝居がかった演技を嫌い、素人俳優を起用し続けたことで有名で、当時のサンダも演技経験は全くない素人だった。原作はドストエフスキーで(初恋といい、彼女はロシア文学に縁があるようだ)、男と女は結局は理解し合えないものなのではないかと問題提起している作品。頑固で完全主義者のブレッソンと自我の強いサンダは撮影中うまく折り合わなかったという。非商業映画を手掛ける巨匠・ブレッソンだけに、この作品もプロットがなく、途中で何度も睡魔に襲われた。サンダの美しさは堪能できたのだが・・・今もう一度見たら新たな発見があるかもしれない。

その後サンダは、21歳で俳優のクリスチャン・マルカンとの間に男児をもうけ(彼は彼女より20歳以上も年上だった)、数多くのフランス女優の先輩に倣い?未婚の母となる。女優としても、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティ、リリアーナ・カヴァーニ、マルグリット・デュラスといった名匠の作品に恵まれる。マウロ・ボロニーニのフェルラモンティの遺産の演技でカンヌ映画祭の主演女優賞も受賞した。陶器のような肌のヌードを披露したり、確かにその中での彼女は美しかったものの、映画の内容は印象に残らなかったのでかなり意外だった。上記の監督作品での彼女もそれぞれ美しく魅力的だが、女優としては駆け出しだった10代のころ出演した先の三作品のセンセーショナルな美しさには敵わない。あまりに美し過ぎた人には時の流れは残酷なのか。サンダは、齢70を過ぎて大女優の風格のカトリーヌ・ドヌーヴや、80代でシャネルを着こなし映画の主演を務めたジャンヌ・モローのような存在にはならないだろう。70に手が届こうかという今の彼女はやけに老け込んでしまった感じだ。かつてのファムファタルの面影を求めるわけではないが、大年増となってさらに輝くドヌーヴやモローの強かさが彼女にはなかったのか。いずれにせよ、ドミニク・サンダはパリの香りのする最後の女優という気がする。爛熟した文化を生きてこその頽廃の香りを放つ。その下の世代の女優からは失われてしまった大人の魅力。ちなみに下のギターを弾いている男性がクリスチャン・マルカン。昔の峰岸徹みたいな渋い中年といったところか。サンダもとてもこれで20歳そこそこには見えない。さすが15歳で家を飛び出し結婚したマドモアゼル、早くも爛熟の美の片鱗を漂わせている。

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