lust caution・・・色・戒 不倶戴天の仲なのに・・・どんな関係でも愛は愛

20世紀中国を代表する女流作家・張愛玲の作品の映画化。邦題はラスト・コーション。てっきり最後の警告かと思ったら違い。。。日本語だとわかりませんね。日本公開時、”奥様悶絶!中国映画ラスト・コーションのやりすぎ四十八手”という煽情的な週刊誌の惹句に乗っかり観に行った。確かにこの人たちなにやってるの?と訝るアクロバティックなラブシーンの連続で、なまめかしいことこの上ない。しかし張愛玲がそんな下りを描くとも思えず、原作はいったいどんな話なのかと読んでみた。

1942年、日本占領下の上海で抗日運動に身を投じる女子大生のスパイ・王佳芝は、日本の傀儡政権のボス・易に近づき、暗殺の機会をうかがう。その過程で彼女の色仕掛けに易が乗るのだが、映画はずいぶんと想像をたくましくした展開になっている。命を狙う者とそうとは知らずに若い女に感情移入していく中年男。ましてや戦時下、死と隣り合わせの日常がもたらす緊張感から、二人の愛の営みは暴力的なまでに激しくなり・・・などとは、小説では描かれていない。易は佳芝に惹かれ、佳芝も知らず知らずのうちに易を愛してしまう。愛の記念に易は佳芝に指輪を贈ると言い、二人は宝石店に出かける。そこで佳芝の仲間は易を暗殺する計画だ。宝石店の店主はピンクダイヤの指輪を勧める。二人で指輪を選ぶー幸せの象徴のような行為が死出の旅の始まりとは皮肉なものだ。しかし決行の直前、佳芝は彼が自分を本当に愛していることを感じ取る。そして彼を逃がすのだ。暗殺を画策した学生たちは一網打尽にされ、銃殺される。もちろん佳芝も。易は、彼女は処刑される前、自分を恨んだだろうと追想する。だが”毒なき者、男にあらず”、このような男でなければ彼女も自分を愛さなかったに違いないとも思う。易夫人と、貿易商の妻を装った佳芝が、ほかの御婦人方と共に麻雀に興じる場面から始まった小説は、佳芝の処刑を知らない易夫人たちが麻雀卓を囲むところで終わる。何ともやるせない気分にさせる幕切れである。

張愛玲の小説は愛に関しては悲観的なものが多く、読み終わると淋しいような悲しいような気持ちに捉えられる。恐らく彼女自身にあまり幸福な愛の思い出がなかったためではないかと思う。張愛玲は1920年、上海の名門家庭に生まれた。父親は旧社会の貴族の息子で阿片を吸い放蕩三昧を繰り返し、進歩的で芸術を愛する母親とは全くそりが合わず、いさかいの絶えない夫婦だったという。また母親は幼い張愛玲を残してイギリスに留学してしまい、母親の留守中には芸妓上がりの女性が家に入り込んだそうで、彼女は温かい家庭を知らずに育った。ロマンチックなタイトルを冠しながらいい意味で読者を裏切る傾城の恋然り、愛し合いながらも結ばれない二人を描いた半生縁然り、彼女の小説の登場人物は、人間の手ではどうにもならない運命とでもいったものに翻弄され、そのがんじがらめの人生の中で束の間の愛に身を投じるが、愛によって幸福になりはしない。張愛玲はそれが人生なのだと諦観しているきらいがある。スパイでありながらその標的を愛してしまい、本分を投げやる佳芝は哀しい。易は易で、佳芝を殺さない選択もありえた。しかし自分の保身のためにはやむを得なかったと言い聞かせ、彼女は生きていても死んで亡霊となっても自分のものだと呟く。まさに毒なき者、男にあらずだ。

 

映画では、愛国主義の学生たちが傀儡政権のトップ暗殺を画策するなんてと荒唐無稽な印象を受けたものの、小説だと結構リアルだった。異常な状況下を借りての過激なアクロバティック・ラブ・シーンは打ってつけであり、映画をヒットさせるためには必要だったのだろう。しかし何と言っても一番心に残ったのは易役のトニー・レオン。全身から中年男の色気を発散させて見事だ。何が凄いって、ラブシーンよりスーツ姿のトニーの方が全然色っぽいこと。むかしむかし、やはりラブシーンが話題となったデュラスの”愛人”でも、ラブシーンは主演のレオン・カーフェィではなく代役を使ったというが、こちらもまさかトニー・レオンがあのラブシーンを演じたとは思えない。でもそんなことはどうでもいい。いい役者は脱ぐ必要などない、着衣で勝負の見本のような俳優だ。ラブシーンが大変だったであろう佳芝役の女優さんも綺麗だった。色・戒。身の破滅に至るとも情欲を抑えきれない人間という業の深い生き物に、張愛玲は欲望は慎みなさいとメッセージを残したのだろうか。思いもよらず愛し合ってしまう不倶戴天の二人が哀しい。

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