ディアギレフの見えない手

加藤和彦・安井かずみ夫妻が1980年代に発表したアルバム・Belle excentrique。常に時代を先駆けたおしゃれな二人がフランスのエスプリをシックに表現していて、当時の日本人には早すぎた観があるーと言っても、ロスチャイルド夫人にしろジャン・コクトーにしろ20世紀の名士、いま彼らの名前を知っている日本人もごく一部だろう。昭和は遠くなりにけり。ディアギレフの見えない手、とはその珠玉のような作品群の一つ。ディアギレフという聞きなれない名前も手伝い、妙に心に残った。ウォッカで人生の憂さを晴らす男が、パリのサクレクール寺院の鐘の音を聞きながら頽廃的に♪この世の憂さ晴らすのはvodka・・・故郷を偲ぶのはvodka・・・オペラ座の鐘が鳴る 乱れた心の鐘が鳴る 人生の舞台裏で糸をひくのは見えない手♪と歌っており、子供心にディアギレフとはおそらくかなりの策士なんだろうなと思ったことを覚えている。

このアルバム、ジャケットは金子國義の絵で、長身痩躯の黒いスーツ姿の男性が額と手から血を流して立っている。ちょっと不気味な感じだが、金子國義のファンだった私はとても気に入り、勝手にその男性を策士と思しきディアギレフに重ね合わせていた。当時は、ディアギレフが20世紀初頭にロシアバレエ団を結成してヨーロッパで活躍した天才興行師だということは知らなかった。それから時は流れ、数年前、国立新美術館で開催されたバレエリュスの衣裳展に行った時、実際のディアギレフの写真を初めて見て・・・想像とあまりに違っていたのにびっくり( ;∀;)いまは死語?のいわゆるずんぐりむっくりー背は低く、太っていて、胡散臭い雰囲気を漂わせ・・・まさに興行師のイメージそのものではあったものの、金子國義描くところの瀟洒な身なりの男性からはあまりにもかけ離れていて結構ショックだった。

それでもただならぬ存在感を示すディアギレフに興味を持ち、オランダ人作家による彼の伝記・A lifeを読んでみたところ、イダ・ルビンシュタイン、トルストイ、ストラヴィンスキーなどなど、今日まで語り継がれる名だたる芸術家たちとの交流を含む彼の人間関係にまつわるいろいろなエピソードや、当時のロシアのライフスタイルが語られていて面白かった。特に忘れがたいのは、19世紀ロシアの上流階級の家庭では、男の子が思春期を迎えると父親が娼館に連れて行く習わしがあったということ。農奴解放以前は、農奴の女性が娼婦の役目を担うこともあったとか。ディアギレフも父親に連れられて娼館に行くが、彼は同性愛者だったのでその時の経験を屈辱的に思っていたのだそうだ。長じてからの彼の恋人はみな美しい青年で、バレエ団のプリンシパルなどほとんど彼の恋人だった。恋人を一流の芸術に触れさせて育てていくのが彼の流儀で、有名なのはニジンスキー。

バレエ公演を続けるには当然ながら莫大な資金が必要で、ディアギレフは常に資金集めに奔走していたが、もちろん多くのパトロンがいた。パリの社交界人士をはじめ、かのココ・シャネルも彼のパトローネ。シャネルは彼の死に水をとったという。美しいものが大好きで、芸術的センスにあふれ、また天才を見出す天才でもあったというディアギレフ。シャネルはディアギレフが休んでいるのを見たことがないと書いている。常に行動あるのみで、莫大な借金を作り、金があれば浪費する人生の果て、糖尿病の悪化で57歳で没したときに残したものは、カフスボタン一つだけだったという。。。なんてかっこいい生き方なのか。

バレエリュス100周年記念にパリ・オペラ座で開催された公演のビデオ上映を、この夏東急文化村で鑑賞した。夢のようなひととき。牧神の午後、ペトルーシュカ、薔薇の精、それに初めて見た三角帽子!こちら初演の衣裳デザインはなんとピカソ。天才同士のコラボレーションだ。薔薇の精のメロディは、子供のころのバレエ教室で、レッスンの終わりに生徒が一人一人先生に挨拶する際に先生がピアノで弾いてらしたもので懐かしかった。

一つの歌が縁となって、色々な文化を知りえるのは素晴らしいこと。精神の旅への誘いのようなものだ。ディアギレフを知る機会を与えてくれた加藤和彦・安井かずみのお二人、また特異な美意識に共感した金子國義も鬼籍に入られたが、彼らが残したものは後世の人々に影響を与え続けている。芸術には命があるから。余談ながら、Youtubeで偶然目にした、白っぽいスーツを着てIt’s a small cafe?という歌をうたう加藤和彦が哀切な感じで好きだ。

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