煙草との別れ 愛しい君は二度と会えない彼方へ こんな禁煙方法もある

父が病院で闘病生活を送っていた時、病の進行と共に人の手を借りずには喫煙室まで行けなくなり(当時は病院内に喫煙室が設けられていた)、一人では好きな煙草も喫えないと嘆いていた。その姿を見て、自分がもしそうなったら辛いだろうと禁煙を思い立ったのである。しかし思い立ったはいいが、どう実行するべきか迷った。金を払って禁煙外来に行く気はなかった。タバコがいかに有害かを説く文書を読んでも効き目はないだろうと思った。どちらも長期的にみたら失敗に終わりそうな気がしたのである。長い間、嬉しいときも哀しいときも片時も離れずにきた友というか恋人のような存在である。掌を返すように悪者扱いするのは心苦しい。これは意識を変えなければ無理だと思い、大好きな人と別れる気持ちで禁煙しようと決めた。さよならだけが人生だの名言もある通り、人生に別れは付きもの。自分で意志的に選ぶ別れもあれば、相手の決断でいかんともしがたい別れもあり、果ては死別という最も悲しい別れもある。いずれにしろ、深くかかわりを持った相手との別れはつらい。

コンビニで、kioskで、数百円と引き換えに手に入れられる煙草を、運命のいたずらでもう二度と会えない人と思うようにした。何かの拍子に異次元にワープした、あるいはタイムトラベルでプトレマイオス朝の彼方へ飛んでいってしまった煙草にはもう会えない。街で見かける煙草は全て偽物で私の恋人ではない。そんな風に自分自身を洗脳し、まだ中に数本残っていた煙草のパッケージを捨てた。それ以来二度と煙草に触っていない。何度かの試行錯誤を経てではなく、一回の洗脳で煙草をやめた。禁断症状や苛立ち、倦怠感もなかった。一般に指摘されている煙草の依存性を疑わしく思ったほどだ。一種の脳内革命だったと自分では思っている。それから約10年が経ったが、煙草は一度も喫っていない。強い意志の力でやめる!と意気込んだり、どうしてもやめなければと自分を追い詰めていたら無理だったと思う。発想の転換は大切だ。喫煙者には肩身の狭いご時世、この傾向は今後一層強まるだろうが、天邪鬼な自分は、誰もが煙草などやめるころ時代に逆行してまた喫ってみたいなどと周囲に吹聴している。

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