汚れた血 永遠に疾走する愛に憑かれた孤独な青年

もう30年も前、当時流行っていたミニシアターは満席で、立ち見したのを覚えている。若さゆえの体力。3本立てで3時間なんてシネママラソンやオールナイトも平気だったあの頃が懐かしい。若き鬼才、ゴダールの再来ともてはやされていたカラックスは、時代の閉塞感を打破しようとする若者を描き、若年層に熱狂的な歓迎を受けた。カラックスのブランド力は絶大で、カラックスを知っていると言うとちょっとした映画通のような印象を与えた。ドリカムの歌にもカラックスがどうのって歌詞があったっけ。配給会社がうまくプロモーションしたのだろう。時代の先端を行くカリスマ、完全主義の謎めいた監督といった売り方。難解で斬新な映像という触れ込みはまさに若者ターゲットの惹句だ。その作戦に乗せられた私もカラックスに憧れた。まず早熟の天才ぶりを示すエピソードの数々が眩しかった。16歳で高校を中退し、18歳で批評家として活動を始め、20歳で初めての監督作品を撮るとか、凡人には想像もつかない華々しさ。汚れた血はカラックスが自身を投影したアレックス三部作(カラックスの本名はアレックス・デュポン)の第二部で、第一部であるボーイミーツガールを撮ったのが23歳の時。そして汚れた血は26歳の時の作品である。

愛のないセックスによって感染するSTBO (フランス版エイズ?)が蔓延する世紀末のパリ。今思えばこの設定だけで笑ってしまうが若者はノックダウンされた(少なくとも私は)。ハレー彗星の接近で異常な暑さの夏。(実際は厳寒の中撮影が行われたそうだ。)街頭でのトランプ賭博で日銭を稼ぐいわば与太者のアレックス(ド二・ラヴァン)は孤独な青年。手先がマジシャンの如く器用で、腹話術もものす。このドニ・ラヴァン、不気味で不吉な雰囲気を醸し出す強烈な個性の持ち主。カラックスはよくあんな顔の俳優を主役に選んだものだと思う。野卑な魅力漂うと言えば聞こえはいいものの美形にはほど遠いセルジュ・レジアニも好きみたいだし、アレックスと後述のマルクがけんかの末ガラスに顔を押し付け合い、その醜くゆがんだ顔を映し出すシーンもあったりで、カラックスはいわば変顔趣味?アレックスは子供のころから異常に無口な子で、親は皮肉をこめてお喋り(langue pendue:フランス語で宙吊りの舌。おしゃべりは常に舌を動かしているから)と呼ぶ。私はこれでlangue pendueというフランス語を覚えた。彼にはリーズ(ジュリー・デルピー)という美しい恋人がいる。森で裸でくつろいだり、バイクで疾走したりするアレックスとリーズ、煙草の吸い方までそっくりな微笑ましさ。しかしアレックスは満たされず、何とかして生活を立て直したいと思っている。バブルが崩壊した日本でこのアレックスの姿に共感する人は多かったのではないか。

アレックスの父親もよからぬ人物で多額の借金を残して死に、それが友人のマルク(ミシェル・ピコリ)の肩にのしかかる。マルクはSTBOの血清を盗んで密売し、窮地をしのごうと画策する。その相棒としてアレックスに白羽の矢が立つ。生活の基盤を築きたかったアレックスはリーズに別れを告げ、金欲しさに犯罪に加担する。その過程でマルクの年若い恋人・アンナ(ジュリエット・ビノシュ)に惹かれ・・・30年前はこの物語に痺れた。でも今となっては愛のないセックスで感染するSTBOって設定が青すぎる。例えば一世風靡したリングもホラーの伏線の張り方は見事だが、呪いで人は殺せない。出発点そのものが突っ込みどころ満載だと観る方は萎える。とはいえ汚れた血は、こうして書き残したいと思わせる魅力に満ちた作品である。ジャン=イヴ・エスコフィエが彫琢を重ねた職人技を発揮して撮影した夜のパリの景色を始め、カラックスの美学を反映したシーンの数々とともに、珠玉のようなセリフが散りばめられているのも忘れがたい。

リーズがアレックスに贈った絵に添えられてあった、娘が脚を開くとそこから秘密の蝶が飛び立つという謎めいたセリフ。泣き虫のアンナは自分を涙が止まらない血友病みたいと例える。アレックスが見た夢の中でアンナが語る、私の目に二つの黄色い月が見えたらオルガスムなの。また、公開時のキャッチコピー”愛は疾走する”はキーワードであり、アレックスがアンナに尋ねる、永遠に疾走する愛を信じるか?のセリフも決まっていた。ボウイのモダン・ラヴに乗って、アレックスが走って走って走りまくるシーン、アンナへの迸り出る恋心が切なくも力強く描かれていた。汚れた血といえばあのシーンが圧巻だろう。ワクチンを盗み出すことに成功しながら、裏切り者の密告により追手に撃たれたアレックス。もう一度人生を生きたいと強く願うアレックスが息絶えるラストシーンでは涙が出た。強がってはいても天涯孤独の身だったアレックスの淋しさははかり知れない。ともに生きる人との幸せを求めたのに叶えられなかった彼の悲痛な姿が胸を打つ。息絶えたアレックスを見て感極まったアンナが走り出し、それを追ってマルクも走り出す。疾走がやはりキーワード。青春の只中にいる者の不安、孤独、夢といった混沌とした内面描写に共感する。プロコフィエフやベンジャミン・ブリテンの音楽も効果的に使われていた。

カラックスは当時恋人同士でもあったジュリエット・ビノシュを神秘の麗人といった筆致で描いている。暑さに耐えきれず上目遣いで髪を吹き上げるビノシュ、日本でもカラックスの意図通りに紹介されていた。二人の男を翻弄する謎の女ーでも私にはいかにも田舎のお姉さんに見えた。無邪気な顔して田舎者の図々しさを発揮する悪女って感じ。昔誰かが彼女をフランスの大竹しのぶと呼んでバッシングを受けたそうだが、私には的を得た指摘だと思われる。その悪女ぶりは以後、存在の耐えられない軽さやダメージなどで遺憾なく発揮され、イングリッシュペイシェントではアカデミー助演女優賞も受賞、堂々の演技派女優である。キェシロフスキのトリコロール・青の愛でも交通事故で夫と娘を失った女性の悲しみの表現が見事だった。個人的には確信犯的ぶりっ子ぶりが鼻について好きになれないが。それにこの人ー笑うとよくない。ただ、アレックス三部作の最終作、完成するまでもめにもめたポンヌフの恋人で、汚れ切ったホームレスの女性を演じ、美しかったのには驚いた。ビノシュの演技力とカラックスマジックのなせる技だろう。全てを失った、社会の敗残者同士の間に生まれた愛を通して、飾りをはぎ取った、人間の本質的な美しさに迫ろうとしたカラックスは只者ではない。

バイクに乗った天使・リーズを演じるジュリー・デルピー。広い額に離れた目、金髪の彼女、美人ではないところが魅力的。キェシロフスキの”トリコロール・白の愛”の盲目的に愛される妻役でも天使のような愛らしさだった。ご本人はカラックスとの仕事を楽しまなかったようで、バイクに乗った天使、妖精のイメージにこだわったカラックスから絶対太るなと言われ、毎日体重計に乗ったとあるインタビューで不満気に語っていた。ポンヌフの恋人のことも、甘やかされた映画と痛烈に批判していた。時は過ぎ、40近い彼女を久しぶりに見たらなんだか怖いような大女になっていて、リーズのイメージが全くなかったのはショックだった。

本を読みすぎて早熟になったアレックスは、すぐに年老いると友人に言われているーその言葉通り、実際のカラックスが一気に年老いてしまったのか、アレックス三部作を撮り終えると長い長い沈黙の時代に突入する。ポンヌフの恋人が最後の作品と本人も公言してはいたが。その後話題になったのは1999年のポーラX。未見なのが残念なので機会があったら観てみたい。カラックスはもともと大の映画好きで、映画評論家としての活動歴も長いので、映画に関する知識は驚くほど豊富である。バイクや鏡といった小道具、運命の女が街頭を歩く姿を追うシーンはコクトー作品からの引用だろうし、瀕死のアレックスがアンナに会おうとやっとの思いでアジトにたどり着くシーンはアンドレ・カイヤット”火の接吻”のラストを思わせる(カラックスはこの作品に相当思い入れがあるようだ。火の接吻の原題は”Les amants de Verone”で、ポンヌフの恋人の原題は”Les amants du pont-neuf”とよく似ている。口から火を噴く大道芸人アレックスの造形にも火の接吻の影響がみられる。火の接吻の主人公はムラノのガラス職人で、彼がガラスを吹くときに火が赤々と燃え上がるシーンは、そのままアレックスにより再現されている。おまけにその主人公を演じているのがセルジュ・レジアニなのだ!)オールドシネマファンにはこういったディテールを楽しめるのもカラックス作品の魅力である。

最近デジタルリマスター版を見返して、アレックスの晴れ着なのか、黄色い地にトランプのダイヤのような黒いマークがついたジャケットと、彼がいつも履いているカンフーシューズみたいなフラットな靴が心に残った。喫煙のシーンが多いのも時代を感じさせる。誰もがひっきりなしに煙草を喫っており、くわえ煙草がまたサマになっている。近未来を設定しているが、まさか近い将来喫煙がこれほど糾弾されることになろうとは思いも寄らなかったのだろう。それに今見ると・・・若き日のカラックス(覗き屋役で一瞬出演している)ってインパルスの板倉に似ている。これは新しい発見だった。

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