澁澤龍彦讃ー暗黒の芸術史の扉を開けた博覧強記の鬼才

1980年代、フランス文学を学んでいた私にとっては神のような存在だった博覧強記の鬼才・澁澤龍彦。当時フランス文学を専攻していながら彼の名を知らない者はいなかったのでないだろうか。フランス文学者で小説家、評論家であったと同時に、文学、絵画、映画等芸術全般に亘って文部科学省が推薦しないような作品を日本に紹介した第一人者である。当時は仏文の澁澤龍彦、独文の種村季弘がマニアックな文学者の二大巨頭だった。(双璧を成す孤高の生田耕作氏は少し毛色が違うか)澁澤龍彦の訳業として恐らく最も有名なサド作品を始め、シュルレアリスムのアーチストやマンディアルグ、バタイユを知ったのも彼を通してだった。いわば暗黒と異端の芸術史を案内してくれた彼に夢中になり、むさぼるように著作を読んだ。私は特に翻訳と評論が好きで、自宅の本棚には澁澤龍彦の名前を冠した本がずらりと並んでいた。彼が還暦を待たずして亡くなったときはショックだった。早すぎる死。もっともっと色々な知識を与えてほしかったのに。

澁澤龍彦の死後発売された追悼本で、彼の最初の妻だったやはり文学者で詩人の矢川澄子さんの追悼文を読んだ。それで矢川さんに興味を持ち、彼女について調べたら・・・澁澤ファンとしてはショッキングな事実を知った。約10年間の結婚生活の間に、澁澤は矢川さんに何度も堕胎を強いていたのだという。矢川さんが、堕胎してもすぐにまた妊娠してしまう健康な体が恨めしい、と嘆いた文を残しているのを見て胸が痛んだ。澁澤は、家庭に縦の関係を作りたくないと言ったという。また、女は母親になると堕落するという、いかにも昭和の知識人が好みそうな持論を展開していた。自著で、自分は大学で教鞭をとるようなタイプではないから著述だけで食べていくのは大変だと書いていたが、経済的事情もあったのかもしれないし、第三者には彼が実際何を考えていたのかはわからない。のちに矢川さんは70を過ぎた頃自死してしまう。縊死だったそうだ。澁澤の死以上にショックを受けた。勝手な憶測に過ぎないが、一人でも子供がいれば矢川さんは自死など選ばなかったのではないか。澁澤も罪な男だ。

それをきっかけに澁澤龍彦に対する追慕が一気に薄れ、あれだけ集めた本もほとんど手放した。”太陽”で出していた特集本など素敵だったのに・・・フランス文学を読むことも少なくなった。時は流れ、2000年を過ぎたころ。偶然、自宅に奇跡的に一冊だけ残っていた澁澤の訳本・ユイスマンスのさかしまを読み、澁澤らしい美文に圧倒された。そしてしみじみと思ったー芸術というのはおそらく何の意味もないのだろう。だがただひたすら美しく、人を救う、と。かつては神のごとく崇めた澁澤龍彦を違う目で見た時代もあったものの、彼はやはり日本のフランス文学ないし異端芸術愛好家のヒーローだと思う。彼が後生に与えた影響は計り知れない。蛇足ながら、写真を見ると若き日の澁澤龍彦と矢川さん、物凄くお似合いだ。ある意味似たもの同士だったのだろう。現世では紆余曲折を経て別れた二人だが、文学を志した同志としてその魂はどこかで結ばれているのではないかと思ってしまう。

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