愛すれど哀しく―フランスには2種類の”ヒモ”がいる

こちらもGyaoでのめぐり逢い。なんだかベタなタイトルに、どんな話なのだろうとクレジットを見ていると、原作はBubu de Montparnasseとあり、古い友人に久しぶりに出会ったような懐かしい思いでいっぱいになりました。学生時代、20世紀フランス文学という授業をとっていて、その中でルイ・フィリップのこの小説を紹介されたのです。教授曰く、フランスにはヒモにも2種類あって、年上の金持ち女性に可愛がられる若い男がジゴロ、若い女を働かせて上がりをせしめるのがマクロー(鯖)ということでした。洋の東西を問わず、なぜ鯖のたとえっていい意味に使われないのでしょうか。この作品に登場するのはマクローとその女。舞台をイタリアに置き換えていました。ヴィスコンティ作品でもおなじみのピエロ・トージによる衣裳が素敵。ポスターにも使われている、女の子のボーダー柄のサイハイタイツなんか今でもおしゃれ。(ほかにも見どころは色々あったのでしょうが、ワイン片手に見たのであまり覚えていません( 一一) 何よりも、ジゴロとマクローのエピソードを思い出させてくれたことに感謝、な映画です。

昼顔 ブニュエルの韜晦趣味が炸裂ー美しき人妻の見る白日夢

もう50年も前の映画とは・・・でも時代を感じさせない問題作。
上流階級の若き人妻が、不可解な欲望に突き動かされて昼間は”昼顔”の源氏名で娼婦として客をとるというショッキングなお話。数年前、日本でも昼顔と言うドラマ&映画がヒットしましたね。。。

若く美しい人妻・セヴリーヌにはカトリーヌ・ドヌーヴ。今や齢70を超えた大女優も撮影時は23歳、ため息の出る美しさです。冒頭、彼女と医者の夫・ピエール(ジャン・ソレル)を乗せた馬車が森の中をシャンシャンシャンと鈴の音を鳴らして走り行く。楽しそうに見える二人なのに、なぜか突然彼女は樹に縛られて衣服を裂かれ、夫に鞭打たれます。冷たい泥を投げつけられて汚れていくセヴリーヌはなぜか恍惚の表情を浮かべていますが。夫はあろうことか馭者に彼女を乱暴するように指示します。全てが唐突で、観客を予期せぬ世界に迷い込ませます。

セヴリーヌは夫と訪れたスキーリゾート地で夫の友人であるユッソン(ミシェル・ピコリ)という男に出会います。このユッソンがさすがミシェル・ピコリと唸らせる悪そうな男ぶり。セヴリーヌは彼に嫌悪感を覚えますが、彼はセヴリーヌに興味を示し、彼女の潜在的な娼婦願望を見透かしているかのように彼女にパリの高級娼館について語ります。心が騒ぐセヴリーヌ。憑かれたように娼館を目指すもののドアを叩く勇気はなく、枯れ葉の舞う公園のベンチで自分を持て余し、涙ぐむシーンが印象的。結局やはり自分の願望と娼館の誘惑に負け、足を踏み入れるのですが。そののち、昼顔の働く娼館を訪れるユッソンは自分の思う壺とばかりに彼女を見てほくそ笑みます。セヴリーヌはそもそも夫との性生活に歓びを見出せない。妻として敬意を持たれ、愛されながらのセックスは彼女の本意ではないのです。彼女の欲望は、自分を徹底的に蔑んで娼婦にまで身を落とし、感情を分かちあうことのない行きずりの男の欲望を満たしてこそ満たされるのです。

この映画はファッションも話題になりました。洗練された美しさでトップデザイナーのファッションを着こなすドヌーヴ。彼女の衣装を担当したのがサンローランで、シューズがロジェ・ヴィヴィエ。サンローランが今こんな服を発表したら全身揃えたいくらい私にとっては憧れの服です。シックなベージュのワンピース、ニットにパテントレザーと異素材を組み合わせたコート、黒い帽子にサングラス、ラスト近いシーンでの、白い襟がついた清楚な黒いワンピース。どれもシンプルで上品で、サンローランの傑作だと思います。モンドリアンルックやヒッピーのフォークロアファッションとはまた違うサンローランの魅力が全開です。

シューズのロジェ・ヴィヴィエも、個人的には一番好きなシューメーカー。パテントレザーに大きなバックルのついた、今でもヴィヴィエの代表作として現役のパンプスは、歩きやすいうえに女性の脚を美しくみせる逸品です。以前、カトリーヌ・ドヌーヴが実際に履いたモデルを展示会で見た時は胸が高鳴りました。今のより少し大きめのバックル。20世紀のおしゃれなパリジェンヌの足元を飾ったのでしょう。真っ赤なパッケージでも有名なヴィヴィエ、当時は全然印象が違うベージュのパッケージで、それも上品で素敵でした。

昼顔に惚れ込んでしまう危険な客・マルセルにピエール・クレマンティ。この人が平凡な役を演じているのを見たことがありません。ここでも狂気を感じさせる凶暴なやくざ者です。前歯が全て銀歯、革のコートにステッキを持った一種異様な出で立ち。彼女を追って自宅にまで押しかけるようになったマルセルを扱いあぐね、娼館を去ろうとするセヴリーヌ。マルセルは彼女をあきらめきれず、夫のピエールを待ち伏せして銃を放ち、逃げようとする過程で警官に射殺されます。昏睡状態に陥るピエール、一命はとりとめますが、車椅子での生活を余儀なくされることに。ある日夫妻をユッソンが訪れ、ピエールにセヴリーヌの行状を全て話すと言い出します。セヴリーヌはユッソンを止めようとはしませんでした。こんな絶体絶命の時にもなんだかどうでもいいような顔をしているドヌーヴが私には魅力的に思えます。彼女は当時、演技ができる女優とは目されていませんでした。誰も息の長い活躍を続け大女優となった今の彼女を想像できなかったでしょう。この人を見ていると、継続は力なり、という言葉を思い出します。

白い襟付きの清楚なワンピース姿で優雅に刺繍しながら、ユッソンがピエールに全てを話すのを待っているセヴリーヌ。そこへピエールが車いすで現れ・・・なんと立ち上がって平然と飲み物を作るのです。あっけにとられるセヴリーヌにピエールが尋ねます。何を考えていたの?あなたのことよ。そ、そんな・・・監督のルイス・ブニュエルには韜晦趣味があるようで、この映画も結局は妄想だったの?って感じの終わり方。すべてはセヴリーヌのマゾヒスティックな嗜好が生んだ夢だったのでしょうか。よき夫がいて、何不自由ない生活を送っている彼女がなぜ娼婦になってしまうのか。人間の心は謎。ドヌーヴのファッションとその美しさを楽しみながら、劇中の彼女が酔い痴れる禁断の世界を垣間見、人を煙に巻く演出に翻弄された・・・というのが私の感想でしょうか。

ちょっと笑ってしまった、日本人が娼婦を買いに来るシーン。その日本人が話している日本語、私にはわからない・・ということは日本人ではありません。(たぶん韓国人でしょう)フランス人にとっては(ブニュエルはスペイン人ですが)日中韓人どれも同じなのでしょう。彼は娼館のマダム・アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ)にこのカード使えるか?と尋ねますが、そのカードの名前がゲイシャクラブカード( ;∀;) 即マダムに駄目よ使えないわと却下されていました。↓の男の人、昔の力道山みたいです。謎のおもちゃを持ち込んできます。

ゲイシャクラブカードというネーミングセンスが素晴らしく、昼顔というと反射的にこのシーンを思い出すくらい気に入っています。ディテールの面白さを楽しむのも映画鑑賞の醍醐味ですね。野に咲く昼顔は朝顔と違ってなんだか淋し気。昼顔の花を見ると、なぜか幼いセヴリーヌが聖体拝領を頑なに拒否するシーンが浮かんできます。自分の気持ちを偽れない真面目な女の子だったのでしょうか。成長したセヴリーヌも、昼顔という名で真面目に妄想に取り組んでいるのが痛ましい気もします。

ディアギレフの見えない手

加藤和彦・安井かずみ夫妻が1980年代に発表したアルバム・Belle excentrique。常に時代を先駆けたおしゃれな二人がフランスのエスプリをシックに表現していて、当時の日本人には早すぎた観がありますーと言っても、このアルバムに登場するロスチャイルド夫人にしろジャン・コクトーにしろ20世紀の名士、いま彼らの名前を知っている日本人もごく一部でしょう。昭和は遠くなりにけり。ディアギレフの見えない手、とはその珠玉のような作品群の一つです。ディアギレフという聞きなれない名前も手伝い、妙に心に残りました。ウォッカで人生の憂さを晴らす男が、パリのサクレクール寺院の鐘の音を聞きながら頽廃的に♪この世の憂さ晴らすのはvodka・・・故郷を偲ぶのはvodka・・・オペラ座の鐘が鳴る 乱れた心の鐘が鳴る 人生の舞台裏で糸をひくのは見えない手♪と歌っています。

このアルバム、ジャケットは金子國義の絵で、長身痩躯の黒いスーツ姿の男性が額と手から血を流して立っています。ちょっと不気味な感じで、金子國義のファンだった私はとても気に入り、勝手にその男性をディアギレフに重ね合わせていました。当時は、ディアギレフが20世紀初頭にロシアバレエ団を結成してヨーロッパで活躍した天才興行師だということは知りませんでした。それから時は流れ、数年前、国立新美術館で開催されたバレエリュスの衣裳展に行った時、実際のディアギレフの写真を初めて見て・・・想像とあまりに違っていたのにびっくり( ;∀;)いまは死語?のいわゆるずんぐりむっくりー背は低く、太っていて、胡散臭い雰囲気を漂わせ・・・まさに興行師のイメージそのものではあったものの、金子國義描くところの瀟洒な身なりの男性からはあまりにもかけ離れていて結構ショックでした。

それでもただならぬ存在感を示すディアギレフに興味を持ち、オランダ人作家による彼の伝記・A lifeを読んでみたところ、イダ・ルビンシュタイン、トルストイ、ストラヴィンスキーなどなど、今日まで語り継がれる名だたる芸術家たちとの交流を含む彼の人間関係にまつわるいろいろなエピソードや、当時のロシアのライフスタイルが語られていて面白かった。特に忘れがたいのは、19世紀ロシアの上流階級の家庭では、男の子が思春期を迎えると父親が娼館に連れて行く習わしがあったということ。農奴解放以前は、農奴の女性が娼婦の役目を担うこともあったとか。ディアギレフも父親に連れられて娼館に行くのですが、彼は同性愛者だったのでその時の経験を屈辱的に思っていたのだそうです。長じてからの彼の恋人はみな美しい青年で、バレエ団のプリンシパルなどほとんど彼の恋人でした。恋人を一流の芸術に触れさせて育てていくのが彼の流儀で、有名なのはニジンスキーですね。

バレエ公演を続けるには当然ながら莫大な資金が必要で、ディアギレフは常に資金集めに奔走していましたが、もちろん多くのパトロンがいました。パリの社交界人士をはじめ、かのココ・シャネルも彼のパトローネ。シャネルは彼の死に水をとったといいます。美しいものが大好きで、芸術的センスにあふれ、また天才を見出す天才でもあったというディアギレフ。シャネルはディアギレフが休んでいるのを見たことがないと書いています。常に行動あるのみで、莫大な借金を作り、金があれば浪費する人生の果て、糖尿病の悪化で57歳で没したときに残したものは、カフスボタン一つだけだったという。。。痺れるようなエピソード。なかなか真似できない生き方だと思います。

バレエリュス100周年記念にパリ・オペラ座で開催された公演のビデオ上映を、この夏東急文化村で鑑賞しました。夢のようなひととき。牧神の午後、ペトルーシュカ、薔薇の精、それに初めて見た三角帽子!こちら初演の衣裳デザインはなんとピカソ。天才同士のコラボレーション。薔薇の精のメロディは、子供のころのバレエ教室で、レッスンの終わりに生徒が一人一人先生に挨拶する際に先生がピアノで弾いてらしたもので懐かしかった。

一つの歌が縁となって、色々な文化を知りえるのは素晴らしいこと。精神の旅への誘いのようなものです。ディアギレフを知る機会を与えてくれた加藤和彦・安井かずみのお二人、また特異な美意識に共感した金子國義も鬼籍に入られましたが、芸術には命があり、彼らが残したものは後世の人々に影響を与え続けています。

みじかくも美しく燃え 

まずこのタイトルに惹きつけられました。原題はElvira Madigan、シンプルにヒロインの名前。それにこの哀切な邦題をつけたのは一連の越路吹雪作品でも名高い詩人の岩谷時子さんだそうです。妻子ある中尉とサーカスの綱渡り芸人の美少女との逃避行の物語で、姦通罪のあった19世紀末スウェーデンで実際に起こった心中事件の映画化。

張り詰めた空気が漂う、透明感溢れる映像と、モーツァルトの音楽が美しい。寡聞にして、スウェーデンの映像作家は他にベルイマンしか知りませんが、ベルイマン作品も無駄をそぎ落とした禁欲的な緊張感が漲っています。スウェーデンの厳しい自然の中で育まれた感性なのか、宗教的背景があるのか。同じくスウェーデン出身のリサ・ラーソンの作品もユーモラスながら華美な装飾はありませんね。

最初はピクニック気分のような二人。広々とした田園の木陰でパンやチーズを食べ、草花と戯れ、二人だけの世界を謳歌します。自分たちの失踪記事を新聞で読み、笑い合うほど屈託がない。楽しい食事の最中に不注意でワインのボトルを倒してしまい、赤ワインがこぼれていくのが不吉な予感。

一般的に男性よりも女性のほうが現実的と言われるように、この映画でも中尉が終始現実逃避しているのに対して、年若い女の子は現実を見ています。

戦争について二人が語るシーン。

中尉は華やかな閲兵式に象徴される示威運動の延長として戦争を見ていますが、彼女は自分がサーカスの巡業で他国にいた際に見た戦争を語ります。

サーカスの動物たちはみな焼かれた。戦争は閲兵式ではないわ。焼ける肉の臭いよ。

このセリフが忘れられません。

二人は捕えられたら投獄される身、金目のものを売り払いながら逃げるしかありません。彼女がパリで脚の悪い画家に描いてもらった絵を売るエピソードがあります。どうやらその画家はロートレックのようです。いくらで売れたのでしょう。そのうち当然金は尽き、彼女は何とかして生き延びようと酒場の踊り子として働こうとしますが、中尉は恋人が男に媚びを売る仕事をすることに耐えられず、それも続きません。野生のベリーの実を摘んで飢えをしのぐ二人、もう先がない。

覚悟を決めなくては、と切り出すのも彼女です。

美しい自然の中で最後の食事をする二人。パンや卵を入れたかごの底には銃があります。銃を見て、とっさに受け入れられない彼女は彼の腕を離れ、野原で草花と舞う蝶を追いかけます。牧歌的な映像の中に銃声が二つ響いて終わり。

やるせない映画ではありますが、恋人同士は長く一緒にいたところで必ずしも幸せなわけではないので、お互いを必要として激しい情熱に駆られている時の道行きもある意味幸せなのかと最近は思います。

ちなみにヨーロッパ三大心中事件の一つだとか。一つは映画・うたかたの恋で有名なオーストリア皇太子と男爵令嬢の心中事件ですが、もう一つは不明。とても気になります。

Je t’aime…moi non plus ゲンズブールマジックが煌く切ない恋物語

男女の愛の睦言をそのまま吹き込んだようなデュエット・Je t’aime…moi non plus. 最初に聴いたのはゲンズブール&バーキンヴァージョンで、あまりにセクシーなので驚きましたが、後年ゲンズブール&バルドーヴァージョンを聴いて更なる衝撃。前者をはるかに上回る色っぽさなのです。さすが往年のフランス№1セクシー女優といったところ。元々はこの曲、ゲンズブールとバルドーが恋愛関係にあったとき、彼女に請われて書いたものなのだそう。実生活で情熱のさなかにいる二人が、世界で一番幸せなカップルなのではと思わせる熱~い歌いっぷりを披露しており、なまめかしいことこの上ありません。

しかし、当時ドイツ出身の写真家でプレイボーイとして有名だったギュンター・ザックスと結婚していたバルドーが、ゲンズブールとの関係がスキャンダルに発展するのを恐れて発売の差し止めを求めたのでお蔵入りとなってしまいます。バルドーのために作った歌なのにとゲンズブールはかなり落ち込んだようです。(後に動物愛護団体を設立したバルドーが、売り上げをそこに寄付するならとリリースに同意したので日の目を見ることになります。)その後、事実上の妻となったバーキンと再びデュエットするとは彼なりの悪趣味の美学なのでしょうか。。。それにしてもこんな詩を書いてしまうゲンズブールって一体何者?そりゃあ発禁になるでしょう。母国語でないフランス語だから平然として聴けますが、日本語でこんなこと歌われたらちょっとというかかなり引きます。昔のサザンとか忌野清志郎のノリ?

で、今回はその映画の話です。時代も場所も特定されないノーマンズランドのスナックで働く男の子みたいな女の子、ジョニー。太った店主のボリスにこき使われ、何の楽しみもないような日々を送っているところに、クラスとパドヴァンという、ごみ収集を生業とするゲイカップルが現れて。。。クラスははじめ、ジョニーを少年と勘違いしますが、残念ながら女の子。でもお互い惹かれあい、三角関係が始まります。

冒頭から、血だらけのカラスの死骸だったり、ごみ処理場だったり、汚れたダンプカーだったりと、およそ恋愛映画にふさわしくないアイテムが登場します。
豚かと見まがうほど醜い犬も出てきたり。。。(この犬、ゲンズブールがバーキンにプレゼントされて実際飼っていたブル・テリアのナナという雌犬なのだそうです。バーキンの祖国・イギリス原産で、当時のイギリスではとてもポピュラーな犬種だったとか。のちにゲンズブールの伝記映画でゲンズブール本人が、ナナが亡くなった時それまでの人生で一番泣いたというようなことを語っており、しんみり。)

閑話休題。クラスとジョニーが愛を交わそうとするのも薄汚いモーテル。ゲイのクラスは女性を愛せず、それを罵るジョニーでしたが、やがて男同士の愛の行為を受け入れようとします。苦痛に耐えられずモーテルの部屋で絶叫してしまうため、不審者扱いされて追い出され、なかなか思いを遂げることはできず。。。やっと結ばれるのは汚いダンプカーの荷台の上。想像したラブストーリーとは全然違うので戸惑いながら見ているうちに、ゲンズブールマジックに魅せられている自分に気づきました。
汚れた、異臭が漂いそうな背景との対比で、登場人物たちの美しさ、純粋さが際立って見えるのです。すべてがゲンズブールの研ぎ澄まされた審美眼によって選ばれた代替の利かないオブジェなのでしょう。モーテルでのラブシーンも、多くの男性が惹きつけられるであろう胸や腰ではなく、ジョニーのむき出しの背中をひたすら撮り続け、一筋縄ではいかないゲンズブールの美意識を感じさせます。

クラスとパドヴァンがごみ処理場でじゃれるように抱き合うシーン

ジョニーが、クラスがごみの中から拾ってきた人形を抱いてクラスを思うシーン

太った醜い女がストリップを繰り広げるダンスパーティで、クラスとジョニーが抱き合って踊るシーン(BGMはje t’aime・・・!)(一番好きなシーンでもあります)

嫉妬に狂ったパドヴァンに殺されかけたジョニーが、去っていくクラスを涙ぐみながら追うシーン

どれも切ない恋心を表現していて見事です。テーマ曲のBallade de Johnny-Janeも泣かせます。さあ、ジョニージェーン、すべて忘れてやり直し。あの灼けつくような短い日々の思い出を消してしまおう。また別のトラックがやってきて、君をもう一つのフロリダへ連れて行ってくれるよ。

束の間の恋に酔いしれ、それを失ったジョニーが哀しい。

東京ダート1400メートル 笑顔のピエロのブランコを見逃さないで

東京ダート1400メートルのレース。スタート台へ向かうスターターの様子をカメラが捉えるほんのわずかな時間、可愛い顔が映し出されることがあるのをご存知ですか?私も最初は何だか解せず、その存在に気づいたのはここ10年ぐらいの話なのですが。緑色の帽子をかぶったピエロが、ウィンクしながらにっこり笑って立っているのです。赤い手袋をつけた両手にはブランコを下げています。フジビュースタンドから遠く臨むと、楽し気にブランコを揺らす子供たちの姿が見えます。

今年のJRAのCMにも登場したこのピエロ、何がスペシャルかって、前向きと後向きの2つの顔を持っているのです。4つある目で前も後ろも見えるわけ。いわば東京競馬場の双面神・ヤヌスの神!ヤヌスの神が過去と未来を同時に見ていたように、ピエロもスタートからゴールまで全部見ている。雨の日も風の日も雪の日も、東京競馬場の内馬場で笑顔で立ち続けるピエロ、その姿を見ているだけで幸せな気分になります。東京競馬場で繰り広げられた色々なドラマを見てきたのでしょう。おととしぐらいから、ハロウィンにはジャックオーランタンのマスクをかぶるようになりました。それがまた可愛い。ちなみにこのピエロのブランコ、2台あるのですが、障害レースのハードルのすぐ近くに立っているピエロは、踏み切ってジャンプ!の時全身が見えます。私の不満は、当該レースの前にもかかわらず、カメラの位置によってピエロの顔が映らない時があること。JRAさんには、東京競馬場にはこんなに可愛いブランコがあるんですよともっとアピールしてほしいと切に思います。

2020年2月1日、本年の東京競馬開幕日に東京競馬場に赴き、あの子の顔を見るのを楽しみにしていたら・・・撤去されていて地ならしが行われていました。これから何ができるのでしょう。あの子のいない東京ダート1400mのスタートは灯が消えたようでした。また戻ってきてほしいものです。

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世にも怪奇な物語 ロジェ・ヴァディムが描く禁断の恋

Gyaoで無料動画を見ていると、たまにえっと思うような懐かしい映画に出会ったりします。最近ではこの、エドガー・アラン・ポーの三作品を三人の監督が撮ったオムニバス映画・世にも怪奇な物語。初めて観たのがいつだったのか・・・当時はフェリーニによる第三話・Toby Dammitに出てくる少女の顔をした悪魔が怖くて、それが一番印象的でした。主人公を破滅へと導く、子供なのに既に堕落しているかのような、悦楽と悪の虜になっているような表情の女の子。まさにポーの世界の住人。

今回ももう一度あの女の子を見たくて映画を観たら、今度はロジェ・ヴァディムによる第一話のMetzengersteinに心を奪われました。当時の妻だったジェーン・フォンダを主役にした耽美的な作品で、ジェーンが扮するのは莫大な財産を相続した伯爵家の令嬢・フレデリック。神をも恐れぬ傲慢な彼女はその取り巻きと共に放蕩の限りを尽くす日々を送っていますが、従弟である男爵との出会いにより変化が訪れます。

フランス・ブルターニュ地方の古城が舞台で、その荒涼とした佇まいがもう雰囲気たっぷり。マイケル・ジャクソンのスリラーのナレーションでも有名なヴィンセント・プライスがここでも美声のナレーションを披露しており、全編を流れる感傷的な音楽と共に物語を盛り上げます。ジェーンは終始バーバレラ風の露出の多いセクシーな衣装で登場。自分の妻や恋人をスターにしていった手腕で有名なヴァディム、ジェーンの官能的な魅力を知り尽くしていたからこそでしょう。森の中でキツネの罠にかかった彼女を偶然通りかかった従弟のウィルヘルム男爵が助けることになり、それで二人は意識し合うようになります。ウィルヘルム男爵は、フレデリックの伯爵家とは長年いがみ合う仲の、分家の中でも最も資産のない家の出。二人はいとこ同士とは言えそれまでお互いをよく知る機会はありませんでした。ウィルヘルムは才能豊かだったにもかかわらず興味を示したのは馬と狩猟だけで、社会には背を向けて孤高の姿勢を貫く男でした。

ウィルヘルム男爵役はジェーンの実弟であるピーター・フォンダ。彼といえば反射的にバイカーのバイブル・イージーライダーを思い出す向きは多いでしょうが、私には何といってもこちら。長身痩躯で、湖の底のような目をしたピーター=ウィルヘルム。フレデリックは一目で恋に落ちます。あの目で見つめられたらたまらないでしょう。実際の姉弟をキャスティングしているところが禁断の愛・近親相姦っぽい危うさを醸し出しています。

 

その日以来、フレデリックは彼が忘れられず、馬を駆っては出会った場所や彼が現れそうな場所を彷徨います。憂愁に閉ざされた彼の面影を追うフレデリックの恋心が切ないシーン。城壁でフクロウと語り合うウィルヘルムを見つけ、フレデリックは呼び止めます。傍にやってきた彼に、寒い、自分の家ではこんな時男がマントを貸すものだというと、彼は黙って自分のマントでフレデリックを覆います。愛しい男に寄り添う歓びで高鳴るフレデリックの胸の鼓動が聞こえてきそうなシーンです。ウィルヘルムを食事に誘うフレデリックですが、ウィルヘルムは放埓な彼女を批判して拒否します。それが悲劇の始まり。プライドを傷つけられたフレデリックは、家来にウィルヘルムの厩舎に放火させます。ウィルヘルムは燃え盛る炎の中、愛する馬を救いに厩舎に入り、馬と共に命を落とすのです。フレデリックには予期せぬ出来事でした。さらに予期せぬことに、フレデリックの家に謎の漆黒の馬が現れます。ウィルヘルムの魂を担ったその馬にフレデリックは夢中になり、同時に死への誘惑にも憑りつかれるようになります。

ジェーン・フォンダはヴァディムと別れてからアメリカに戻り、社会派映画で女優として名をあげます。アカデミー賞の主演女優賞を受賞した帰郷での演技など素晴らしい。でも個人的にはヴァディムと一緒にいたころの妖艶な彼女が好きです。また、フランスの老舗美容サロン・CARITAが担当したジェーンのヘアスタイルの素敵なこと!もちろんブロンドのロング!驚くほどヴァディムの昔の恋人に似たショットもあり。。。ヴァディムって本当にブロンドが好きなのだと感心します。ジェーンと交際する前の恋人であり、彼の子供も産んでいるカトリーヌ・ドヌーヴとの出会いの際には、”きみのブルネットも素敵だけれど、男と言うのはブロンドの女に夢を賭けるものなんだよ。きみはもっと美しくなりたくない?”と口説いたというエピソードがあります。色々なタイプの美女との恋を楽しんだヴァディムですが、ブロンド好みの一点は終生ぶれなかったのでしょうか。