結束 (Taiwanese song)

北京語で”終わり”、の意味。台湾のアーティスト・李宗盛の作品で色々なヴァージョンがあるが、私が好きなのは潘越雲と陳昇によるデュエット。李宗盛は往年の台湾のヒットメーカーで、20年ぐらい前よく聴いた。レスリー・チャン主演の覇王別姫の主題歌とか、MVの辛暁qi(日本語で出てこない)の慟哭のパフォーマンスが忘れがたい領悟とか、陳淑華の夢醒時分とか、問とか。と言っても20年以上前のTaiwanese popsに精通している人でなければご存じないだろう。当時の香港のスター・林憶連は、領悟の歌詞を読んだだけで涙が出たと語っていた。彼女は李宗盛と結婚し一児をもうけている(その後離婚)。その蜜月時代に行ったライヴでは二人の熱愛ぶりが伝わってくるようなパフォーマンスを見せており、その中で彼女は領悟を歌っている。辛暁qiとはまた違った魅力。

領悟は別れを歌った歌。♪長いこと愛し合った二人が今ここで終わる 私の心はあっという間に荒れ果てる♪とか♪私たちの愛が間違いだったなら、二人が無駄に苦しんだのではないことを願う もし心から愛し合ったのならそれだけで満足するべきなのよ♪とか、恋愛を経験した人間ならおそらく共感するであろう言葉が綴られている。そして私のお気に入りの結束は♪夜、別れる時はいつだって、泣かせる言葉を言ってくれるわけでもなく、なんだか物足りない あなたはいったい何が欲しいの?決して口に出しては言わないけれど、こんな結末ではないよね♪と歌う。女性は彼が、ほろりと来るような何か決定的な愛の言葉を言ってくれるのを待っているが、彼はいつまでも何も言ってくれず、心情的に行きつくところまで行っていない。彼女は切ない思いをかみしめている。そんな状況を潘越雲と陳昇は情感たっぷりに歌い上げる。いつ聴いても心に沁みる。冒頭の写真はこの歌が収められているCDの潘越雲。今みるとブルゾンちえみに似ている。直線的な前髪と眉毛のせいだろうか。

東京競馬場メモリアルスタンドWINS時

昨今、開催外に東京競馬場に足を運ぶのは圧倒的にシニア世代が多い。特に開催時はシニア席が多く設けられているメモリアルスタンドは開催外もシニアが多いため、シニアによるさまざまなドラマが繰り広げられている。もうずいぶん前-アローキャリーが勝った桜花賞の日。後ろに座っていたシニア男性が得意気に連れのシニア男性に語っている。”いやぁ、今回の桜花賞、俺の競馬人生のすべてを賭けていいってくらい自信あるんだよ。勝つのはサンターナズソング(善臣騎乗)だな。来なかったら金輪際競馬やめてもいいよ” 私は岡部騎乗のシャイニンルビーを買っていたのでふんふんと聞いていた。レースが始まってみると、直線であれよあれよという間に池添騎乗の人気薄アローキャリーが突き抜け、2着も猛然と追い込んだ人気薄ブルーリッジリバー。我がシャイニンルビーは3着、サンターナズソングは馬群に沈んだ”(-“”-)”私の馬券も風の藻屑と消えたが、後ろでその御仁たちがぎゃあぎゃあ騒いでいる。”あれっこれ日刊の鈴木当ててるよ!”日刊スポーツを読んでいたらしく、当時の予想屋・鈴木の予想的中に盛り上がっていたのだった。そして最終レースの前に、”最終、鈴木何に本命つけてる?!”と鈴木の予想に興味津々。買う気満々である。外れたら競馬をやめる覚悟の御仁の華麗なる変節ぶりに魅了された私だった。

また、東日本大震災の一年後の3月11日。午前中のレースで蛯名が落馬し、その後全レースで乗り替わりとなった。お昼休みに犠牲者への鎮魂の意を表してジョッキーも整列して黙祷があり、いつもの東京メモリアルスタンドで脱帽して黙祷していると、隣に座っていたシニアが騒ぎ出す。”なんだなんだこれは?!蛯名死んだの?”水を打ったような静けさの中で私は噴き出した。蛯名の落馬とシンクロしたとは言え、この発想ができるのもさすがシニアではなかろうか。その後、連れのシニアに説明されて納得したようだったが。”老人力”を提唱したのは敬愛する故赤瀬川原平氏だが、それがいかんなく発揮されている場所が東京競馬場のメモリアルスタンドであるといえよう。まだシニア席に入る資格がない私は開催外に訪れるのみだが、今後もシニアパワーの炸裂を見守りたいと思う。

 

 

ゴシップコラム 口取り写真で笑っていた迷馬

もう10年以上前の話だろうか。夏の北海道シリーズの只中、東京競馬場に異例のアナウンスが流れた。”第XXレースに出走するゴシップコラム号の性別は牡馬となっておりますが、セン馬であり、これは調教師が届け出を怠ったためです”大体斯様の内容。一斉に失笑が漏れた。去勢明けのセン馬で大幅な体重増(減っているよりいいとは言われるが)、まったくの人気薄で激走、勝利を収めた。その名も馬主である金子氏のセンスの良さがうかがえるゴシップコラム。なんだか笑える話で済ませるところが、当時購入していた競馬雑誌にそのレースの口取り写真が載っていたので驚いた。重賞でもないのに?と訝ったが、笑う馬、として紹介されていたのだ。なんとゴシップコラムはしてやったりとばかりに歯をむき出して笑っていた。その写真をお見せできないのが残念。その一件でゴシップコラム(芦毛)は(個人的には)永遠に記憶される迷馬となった。

 

 

りんごのにおいと風の国-ハロウィンの季節になると思い出すユーミンの名曲

この季節になると思い出すユーミンのこの歌。もう40年近く前の歌なのか。ほとんどの日本人がハロウィンなど知らない時代にこんな歌を作ってしまうユーミンはさすがだ。それよりさらに前、避暑地の出来事という歌ではやはり日本人にはなじみがなかったであろうカンパリを歌詞に入れており、彼女がどれだけ時代に先駆けていたのかよくわかる。

物悲しいギターにのせてユーミンが♪ハロウィーンと歌うと、冬へと急ぐ季節の温度や香りが漂ってくる。黴びていく枯れ葉の匂い、パンプキンパイの焼けた匂い、寒くなる朝、透き通っていく空気ー厳しい冬の前、短い秋の風物詩。いのこずちをセーターに投げるという歌詞があり、子供のころはそういう遊びをよくやった。最近いのこずちって全然見ないけど。近年の日本はハロウィンブームで、仮装して街を闊歩する楽しいイベントってイメージだが、私にとってのハロウィンはユーミンの歌のように晩秋のちょっと淋しいイメージ。ジェームス・ジョイスのDublinersにclayという一編があり、職場の同僚たちがハロウィンを祝う様子が描かれている。そこにハロウィンで食べるお菓子、バームブラックが登場するのだが、読んだ当時はバームブラックなど知らなかったので、どんなお菓子なのか興味津々だった。伝統的なフルーツケーキだそうで、中国のフォーチュンクッキーみたいに中に指輪だの硬貨だのが仕込まれていて、何が当たるかによってその後一年の運命がわかるという。

File:Barmbrack.jpg

今年ももうすぐハロウィン。クリスマスをはじめ宗教行事が所変われば全く違うものになるのは言うまでもないし、その効果で経済も回るのだから物申す気もないが、信仰を持たない私は違和感を覚えてしまう。大手広告代理店などが提唱する価値観に振り回され、洗脳されて生きてるんだって虚しくなったりする。しかし!異教徒の祭りを祝うのは抵抗があるなんて言いながらジャックオーランタンを愛で、クリスマスカードなんて書いてしまう自分が笑える。イースターの卵だって好きなんだから全くーまあ、一貫した姿勢がないのもある意味姿勢だということにして楽しもう。そういえばユーミンにはベルベットイースターなんていう名曲もありましたね。♪空がとっても低い 天使が降りてきそうなくらい♪とどんよりした春の空を歌った感性には感動しました。

思い出のレース 忘れじの名馬たち

競馬ファンにはみな数えきれない思い出のレースがある。思いつくままに自分の忘れがたいレースを挙げてみたい。映像を見ると熱い感動の涙がこみ上げるようなレース。まず、ラストランで勝つシーンには大体泣けるーラストランと称して走る馬は名馬ばかりだから当然思い入れも深いわけだけど。昔はラストランを飾れる馬はなかなかいないと言われた。それが近年は見事ラストランを飾って泣かせる馬が多い。最近では海外でそれを成し遂げたロードカナロアとモーリス。堂々たる勝ちっぷりで、両馬のラストランとも東京競馬場で中継を観ていた私はこみ上げるものがあり、一緒に観戦した友人に勝ったねと言う声が震えた。ロードカナロアもモーリスも、二階級制覇しているのがまた素晴らしい。

それからジェンティルドンナ。牝馬三冠達成、JC2連覇の輝かしい戦績を誇った彼女のラストランに予定されたのは、3連覇を目指したJC。でも勝てずに終わり・・・有馬に参戦を表明したときには驚いた。その有馬、中山コース未経験の、前走で引退のはずだった牝馬が勝てるはずはない、もし勝てば勝ったで感動ものだから、馬券からは外そう・・・とあっさり外した私は金は失ったが感動に浸った。強い勝ちっぷり。その日中山競馬場で催された引退式も思いっきり泣けて・・・ジェンティルの本馬場入場に使われたBGM、Climb every mountain、映画・サウンドオブミュージックで、尼僧になるつもりが男性を愛してしまい、神に仕える身でありながらと悩むマリアを修道院長が励まして歌う名曲。全ての可能性を追ってあなたの夢をかなえなさいといった内容で、牡馬、海外に挑戦したジェンティルにだぶってもう涙・涙。素晴らしすぎる演出。

その前はやはりオルフェーヴルか。凱旋門賞2年連続2着というこれもまた泣かせる偉業の後、有馬記念であっさり後続をちぎった王者の走り。4コーナー前のまくりでもう涙があふれた。そして言わずと知れたディープインパクト。凱旋門賞を勝てる馬が初めて日本から現れたと信じ、2006年の凱旋門賞は現地で観戦した。レース後はお葬式みたいな状態になってしまったが、後から、すべてのファン、関係者の夢を背負って走ってくれたことだけで感謝の気持ちでいっぱいになった。そのディープ引退の有馬も・・・武がまくっていった時に涙でディープの姿が滲んだ。

もっと前にはシンボリクリスエス。9馬身ちぎった有馬のラストランは涙というより驚きだった。個人的にはそれを凌ぐベストレースは連覇した秋の天皇賞。ペリエを背に直線で馬群を割って出てきた末脚に痺れた。そしてラストランから離れれば・・・安田記念のジャスタウェイ♪極悪馬場で、抜け出したグランプリボスを差し切ったあのド根性、当時レーティングナンバーワンホースの意地を見た。それからウォッカのダービー。多くの人は無謀な挑戦とみていただろうに、圧倒的な強さだった。この20年ぐらいライブ観戦しているダービーで、一番心に残るレースだったかも知れない。何より、ウォッカをダービーに挑戦させた陣営の慧眼がすごい。のちに馬主の谷水氏が、ウォッカが桜花賞で敗れた後予定通りダービーに向かわせたが、ダイワスカーレットが熱発でオークス回避の知らせを聞いた時、物凄い後悔のようなものが体をよぎったと書いていらした。ダービーなどと言わず、オークスに向かわせていたら絶対勝てたのにと。なるほどと思った。そんな思いまでして挑戦させたダービーを見事に制したのだから凄い。馬主も勝負師だから、常人にはわからない勘があるのだろう、結果的に英断だったのだ。

もっとさかのぼるとミレニアム伝説を築いたテイエムオペラオー。サンデー系ではなく、駆け出しの新人だった和田を背によく一年無敗で駆け抜けたと思う。最後の直線、満を持して詰め寄ったファンタスティックライトを退け、デットーリにクレイジーホース!と言わしめた2000年のJC、絶体絶命の位置から差し切った、神が降りてきたような2000年の有馬も印象的だが、勝手に一つ挙げるとすれば、すべての始まりだった皐月賞か。あれも絶体絶命の位置から差し切った、震えがくるレースだった。

これからも更なる感動を求めて、来週もまた天皇賞へと向かう。

空耳アワー 愛され続けて早や?年?週末のオアシスコーナー

昔好きだったなぁ。タモリ倶楽部は週末のオアシスって感じでよく見ていた。私が初めて見たころは、この歌はこう聴こえるとかってコンセプトで、例えば♪愛の水中花♪松坂慶子が網タイツ姿で”これも愛あれも愛”と歌うと”も愛”→モアイ像が映し出されるような具合だった。なんか違うってことでそれが空耳アワーにリニューアルされ、草創期は全部録画するほどお気に入りだった。特にローリー寺西が出た総集編は傑作だった。幼い日見たどっきりカメラのエピソードを再現したり、香港のチューチュー合唱団の歌を披露したり、かと思えばボヘミアン・ラプソディのクライマックスを弾いてみたり。異形のいでたちでパフォーマンスを繰り広げながら、随所に良心を感じさせる発言を散りばめて、彼の感性は抜けて素晴らしい。

なにしろ1994年?以降ほとんど見ていないので当時の記憶をたどるのみだが、私が特に気に入っていた空耳は、なぜか”はっつぁん入れ歯のじじぃ( ;∀;)”。物語性のある傑作はジプシーキングスの”あんたがた~それ見りゃ~車ないかぁぁぁぁぁぁぁ~そりゃまずいよぉぉぉ”。また、よくこれを発見したものだと驚きの傑作が、フェリーニのカサノバ(若い人はカサノバなどご存じないだろうが、伝説の色事師。彼の絢爛豪華な女性遍歴を描いた映画で、全編色事ばかり。もちろんそれだけではなく味わい深い映画なのだが。何より子供だった自分が平気で映画館で観てたってことに驚き。今のR指定などない時代である)のサントラから持ってきた”結婚する前のさっちゃんがいい”。思いっきり胡散臭い歌声でイタリア語。これ、絵は、若い男が小林幸子のポスターの前で立ち止まるっていう演出だった。演出もかなりのセンスだ。その後、カサノバのサントラでこれがどの箇所なのか探したが、該当曲が収録されているサントラ盤が見つけられず、残念。最近リマスター版が出たのでまた探してみようか。他にもセルジュ・ゲンズブールの不気味なささやき”お客さんに嫌われるぞ”、インド?の謎っぽい”阿部係長、理系”、エディット・ピアフがはらわたから絞り出すような声で歌う”いなりも食おうね、やだもん”、殿堂入りした観のある上記ジプシーキングスの”医者も手が空いちゃたまんねぇな”、などが個人的には印象的である。おっと忘れてはならないのは瞬間芸の傑作と思しきマイケル・ジャクソンの”smooth criminal”。冒頭のパン!茶!宿直、で宿直室が映し出される演出。これも大発見だ。自分もどうしても空耳を発見したく努め、やっとマイナーどころで二つ発見するに至ったが、日の目を見ることがあるだろうか。

Sweet pussycat♥そのまんま東が細川ふみえを笑ってた

25年ぐらい前、後輩の女の子に、ね~細川ふみえが歌ってる歌知ってる?と尋ねたら、えっあれ歌って言うんですかぁと憮然とした表情で返された。その言葉を聞いて反省した。”歌”と称されているからと言って、鵜呑みにしてはいけないのだと。当時は胸の大きい女の子はまだまだ少なくて、圧倒的人気を誇っていた細川ふみえ。そのまんま東が司会を務めていた青春の食卓という深夜番組でにこにこにゃんにゃん(歌のタイトル)のパフォーマンスをしていた。彼女が歌い終わると東はキツネにつままれたような顔をして、は?あの?今のが?今のが歌なんですか?とのたまった。あの東に馬鹿にされるなんて(当時はどうしようもない男として売っていたはず)と一人爆笑したのを覚えている。ちなみに細川ふみえはほかにも、スキスキスー、抱っこしてちょ(by小西康陽、 石野卓球)などという歌を歌っていた。彼女のイメージにぴったりでナイス!なプロデュースだったと思う。

アナザーカントリー 少女漫画から抜け出してきたような王子様・ルパート・エヴェレット

デジタルリマスター版ってきれい!往年の名画が最新技術の処理を施されて蘇るのは喜ばしい限りだ。ゴダールの”軽蔑”のデジタルリマスター版を見たときも、カプリ島の自然がさらにまばゆいばかりに輝き、バルドーが素肌に纏う真紅のタオルやカナリアイエローのバスローブがより鮮やかに見えて感激した。そして今回のアナザーカントリーデジタルリマスター版では、数十年前に初めて観た時の美しさに勝るとも劣らぬ、神々しく上品な魅力にあふれるルパート・エヴェレットに釘付けになった。

1930年代のイギリス、全寮制のパブリックスクール。第一次大戦で亡くなった卒業生を追悼するミサで、I vow to thee, my country(ホルストのジュピターの旋律)を合唱する生徒たち。ルパート・エヴェレット扮するガイは、金髪の美少年ハーコートを見初める。二人は歌いながら視線を交わす。恋の始まり。双眼鏡で寮の別棟から出てくるハーコートを探したり、クリケットの試合で審判を務めれば彼に有利な判定をしたり、ガイはもうハーコートに夢中。ハーコートを追い求めてついに食事に誘う。複雑な思いで参加した母親の再婚パーティの帰り、着飾って瀟洒なホテルの高級レストランでハーコートを待つガイ。果たして来てくれるのか半信半疑の憂い顔。そこへハーコートが現れた時の二人の輝くような笑顔と言ったら♡今日は二人の記念日だと最高級のシャンパンを開けてお祝い。ため息が出るほど優雅なイギリス上流階級の男の子たち。今日は酔っぱらおうと歓びをはじけさせ、ガイはハーコートに身の上話を語る。ガイの父親は彼が14歳の時に亡くなっている。それも腹上死。ハーコートには心を許し、幸せなガイ。

彼らが着こなすファッションがまた素敵。ダンディズムを産み出したジェントルマンの国・イギリスだけに、色彩を抑えた禁欲的にも見える紳士服のラインナップが見事。ミサや結婚パーティでの正装、パーティではジャケットに蘭の花を挿しているのが全く違和感なくおしゃれ♥クリケットのユニフォーム、ガイや友人のチェックのガウン、ストライプのパジャマ、ケーブル模様のベストにセーター、軍事教練時の軍服。共同寝室に並べられたベッドには、ガウンとコーディネートしたベッドカバーがかけられているのもさすが。当たり前だが洋服とは西洋人のものなのだとしみじみ思う。長い手脚、白皙の美貌にネイビーブルーや黒のダークカラーがよく映える。黄色人種だとそうはいかない。

作中、冒頭で寮生が同性愛の現場を舎監に目撃されるシーンの他には直接的な性描写はない。美しいガイのヌードを一切みせないところもこの映画の魅力だ。ガイとハーコートが夜、月光を浴びた湖上のボートの上で抱き合うシーンも上品。終始着衣で清潔感溢れていてたまらない。二人は心と理性とでお互いを求めあう上半身の関係って感じ。そんな、現実にはありえない少女漫画の世界のような禁断の愛にリアリティを与えているのは、ひたすらルパート・エヴェレットという美青年の存在だろう。あんなにかっこいい人が現実にいるとはってレベル。ベニスに死す、のビヨルン・アンドレセン然り、美少(青)年という言葉を超越したあまりに美しすぎる人を見ると、思わず時間よ止まれ!と思う。残酷な時の流れで老いていく姿など見たくないと。

輝かしい未来を約束されていたガイだが、同性愛者という理由でエリートコースを逸れ、共産主義に傾倒する友人の影響もあってか階級社会を否定し、スパイとしてロシアに亡命することになる。その骨っぽい友人・ジャドを演じているのがコリン・ファース。ルパート・エヴェレットにコリン・ファース、なんて贅沢な配役なのか。美術品の美しさを堪能できる。白髪の紳士となったガイをジャーナリストが取材する。彼の部屋には若き日のジャド、愛し合ったハーコートの写真が飾られ、ハロッズのマグカップが置かれている。ジャーナリストは帰国願望はあるか、会いたい人物、したいことなどないか尋ねる。帰国する気はなく、特に会いたい人物もいないが、クリケットがしたいというガイが切ない。イギリスの美しい風景と由緒あるパブリックスクールの寮の設え、少女漫画から抜け出してきたような王子様・ルパート・エヴェレット讃。青春とは苦悩する時代なのだろう。

南京の基督ー神の視点に立つ不幸

この小説を読んで、故・虫明亜呂無氏が自著で芥川龍之介について書いていたのを思い出した。芥川が若き日に詠んだ俳句に感銘を受けた虫明氏いわく、彼は早くからすべてを冷静に観照する心を身に着けていたという。なるほど、芥川の卓越した知性を痛感させる作品だった。主人公の旅行者は訪れた南京の街で、病弱な父を養うために娼婦として働く少女に出会い、身の上話を聞く。彼女には客から移された梅毒を患った過去がある。当時は誰かに移せば治るという迷信があったため、ほかの娼婦たちから客をとるように促されるが、敬虔なキリスト教徒である彼女は頑なに拒む。そんなある日、キリストに面影の似た西洋人が客として訪れる。彼女は彼を受けいれるが、翌朝目覚めると彼の姿はなかった。それ以来彼女の梅毒は治り、彼女は彼をキリストだったのではないかと思うようになる。旅行者はその男を知っていた。南京で娼婦を買い、金は払わずに逃げたと吹聴していた質の悪い男で、梅毒を病み発狂したのだった。今でもその男をキリストだと信じている彼女を前に旅行者は、真実を話して彼女を啓蒙してやろうか、それとも何も告げずに彼女の幸せを守ってやろうか迷うのだったー

自分だったらどうしただろう?人間は神の視点に立ってしまったら幸福にはなれない。自分が信頼している相手は自分を裏切っているかも知れないし、哀れみを請いながら陰で舌を出して笑っている輩もいるだろう。世界を俯瞰することほど恐ろしいことはない。幸せは無知の上に成り立っているとも言える。色々な事情があったにせよ、芥川が若くして自死を選んだ理由の一つは、この神の視点に立ってしまったことなのではと思えてならない。そのために、彼が常に抱いていた人生に対する深い懐疑から抜け出せなくなったのではないだろうか。

1990年代に香港で映画化されている。全体に芥川へのオマージュを散りばめたような作品で、原作とは少し設定が違う。ヒロインの娼婦には富田靖子が扮し、セリフは吹替だろうが言葉の壁を超えた名演だった。彼女と愛し合う作家にはレオン・カーフェィ。日本人役を中国人が、中国人役を日本人が演じるというのも面白い。デュラスの”ラマン”公開時には、日本の映画ファンの間では誘惑と官能の貴公子のようにもてはやされていた彼だが、個人的には卑猥すれすれ、下品すれすれのエロスだと思った。でもこの映画の中では和服がよく似合って文句なしにかっこよかったー私の記憶が正しければ。ラスト、死を選ぶ彼=芥川の姿が哀しい。スタイリッシュな映像も印象的な一編。

余談ながら・・・25年くらい前”ラマン”を見た帰りに女性誌を読んでいたら、誰かが、”ラマンには参った、愛人を演じる俳優が大助花子の大助にしか見えず・・・”と書いており、電車の中で涙が出るほど笑い、その後約半年にわたり思い出しては笑い続けた。確かにレオン・カーフェィ大助に似ている。。。大助が愛人を演じるラマンって想像するだけで笑える。

オスカー・ワイルド讃-世紀末文学の旗手の慧眼

ここ何シーズンかのハイブランドのコレクションは、どこも攻めに攻めている感じ・・・といえば誉め言葉にも聞こえるが、正直悪趣味なデザインばかりが目立つ。奇抜なプリント、tackyと称される柄on柄、一度着てしまえばすぐ飽きそうなアクの強い組み合わせ。誰が着るんだろうって素朴な疑問である。ファッションというのは上品な趣味の良さだけを追求していたらいずれは閉塞に陥るものなのかもしれないが、やりすぎ感が半端じゃない・・・動物や怪獣を思いっきりフィーチャーしたりして、インパクトは強烈だけど。そこでふとオスカー・ワイルドの名言を思い出した。”流行とはひとつの醜さの形であり、ひどく耐えがたいので、6か月ごとに変える必要がある” 慧眼だ。彼が生きた19世紀末のロンドンではどんなものが流行っていたのだろう。日本でいえば十人十色、蓼食う虫も好き好きの成句が示す通り、人間の個性は各人異なるものなのに、猫も杓子も同じものに追従する光景は確かにエレガントとは言えない。流行に関しては、20世紀はフランスの文学者・マンディアルグも、”今流行っているものの大半は既に半ば死んでいるものだ”との見解を示しており、なるほどと思った記憶がある。ジェントルマンの国イギリスに戻ると、ワイルドからさらに一世紀時代を遡ればダンディ王として君臨したジョージ・ブランメルがおり、彼は”着こなしの上手な人間は決して衣服によって目立ってはならない。いかなる種類であれ、派手な模様は一切寄せ付けてはならない”との名言を残している。さすがダンディズムを産み出した国・イギリスだけあって、ファッションに一家言持つ人の言葉には重みがある。

そんなことを言いつつ、一昨年だか、イタリアの高級ランジェリーブランド・ラ・ぺルラが発表した架空の動物のプリントは結構気に入ってしまった。翼ある象や虎、キリン、謎の怪鳥、一番面白いと思ったのはフライングオイスター。誰かが生牡蠣を食べる際に取り損なって飛ばしてしまったのが由来なのではと勝手に思っている。西洋にはギリシャ神話の時代から架空の動物を創造する文化があり、興味深い。ボルヘスの幻獣辞典で知った、勝利の塔のア・バオ・ア・クゥーとか神秘的。と、オスカー・ワイルドの慧眼を称えるところが脱線してしまったが、ワイルドおよびブランメルに関してはまた別の機会に書いてみたい。