あの人の手紙 不思議なタイトルのかぐや姫の反戦ソング

学生時代、先輩がカラオケで歌っていたので知った。最後まで聴いたら怖くてその夜眠れなくなった。かぐや姫の反戦ソング。出征した恋人が幽霊となって帰ってくる話で、妙に心に残った。まずタイトルがなんだか不思議。あの人の手紙って、あの人が書いた手紙かと思うと違う。あの人の死を知らせる手紙なのだ。歌詞の中でも呼びかけがあなたになったりあの人になったりで錯綜しているのが珍しい。歌詞の宿命・字数制限のせいだろうがそれがかえって効果的で、主人公の乱れる思いを物語っている気もする。全体的に突っ込みどころ満載の詩ではある。とはいえ詩の魅力は整合性に欠けるからと言って損なわれるものではない。初めて聴いた日からもう数十年ーいまだに8月15日が近づくとこの歌を思い出す。声高に直接戦争を糾弾するのではなく、愛し合いながら引き裂かれる者たちの悲痛な叫びを歌っていることがより心に訴えかけてくるのかもしれない。

コックと泥棒、その妻と愛人ーピーター・グリーナウェイ 悪趣味の美学

1990年の日本公開当時、衣裳がジャン=ポール・ゴルチエ担当ということで舞い上がって観に行った。ゴルチエはその才能の絶頂期だったのではないだろうか。尼さんルックにボンデージ、衝撃のデザインを発表してはファッショニスタを魅了していたゴルチエは、若かりし自分には手は届かないものの憧れの存在だった。映画の内容自体は二の次、頭の中はゴルチエの衣裳でいっぱいで、胸を高鳴らせて足を運んだ映画館でまさか気分が悪くなるとは。それまでにもグリーナウェイの作品は観ていた。Zooにせよ、英国式庭園殺人事件にせよ、数に溺れてにせよ、どれもかなり異常な世界観を示しており、免疫はできていたつもりが甘かった。このコックと泥棒、その妻と愛人はグリーナウェイのエッセンスを昇華させたようなエログロの極みの世界で、正視できなかった。ニーチェの”深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”ーではないけれど、グリーナウェイの作品に描かれる地獄絵巻を覗くとその中に引きずり込まれそうで怖い。だがなぜか見てしまう。怖いもの見たさの人間の性なのか。

グリーナウェイはもともと画家を志していて壁画を描く勉強もしたそうで、なるほどあるインタビューで、自分は俳優を人間としては見ない、風景の一部として見ると語っていた。作品の絢爛豪華な映像美は美術の素養に裏打ちされたものだろう。この映画では高級フレンチレストランを舞台にそこを根城として我が物顔にふるまう泥棒と、それに辟易しながらなすすべのないシェフ、泥棒に虐待されているその妻、その妻に惹かれ愛人となる学者の男を通して、欲望に溺れる人間の醜悪な姿を描いている。グリーナウェイの作品はどれも随所に偏執的なこだわりを見せる。ここでは部屋を移動したりシーンが変わったりすると、セットや俳優たちの衣裳を含めすべての色が変わるという趣向を凝らしている。赤から黄色、青、緑などへとめくるめくようにスクリーンが変わっていくのだ。その中でゴルチエデザインの前衛的な衣裳を着こなす泥棒の妻・ヘレン・ミレンの美しいこと。そこで展開されるのは悪趣味な愛憎劇なのだが。

豪勢な料理がふるまわれているレストランのテーブルを離れてトイレで密会する泥棒の妻と学者。これもグリーナウェイのこだわりなのだろう、彼は対照を成すものを好んで取り上げる。飲食の場に排泄の場、贅沢なドレスに裸体、性的快楽とむごたらしい暴力、など。豚の頭が壁にかかっているレストランの厨房や腐敗しかけた肉に蠅が飛び交い異臭を放つ食肉運搬車の中で裸で密会するって発想がまたディヴァイン。名優たちによくあんな演出を納得させるものだ。食欲と愛欲に耽溺し、身を滅ぼす話と言えばマルコ・フェレ―リの最後の晩餐などというのもあった。西洋人の生への執着って凄まじい。二人の関係は泥棒の知るところとなり、悲劇的ーというか想像を絶する結末を迎えるー泥棒の一味に無残に殺された愛人の遺体をシェフに頼んで調理?させ、泥棒に食べさせる妻ってこれはもうディヴァインどころの騒ぎではない。破局に向かって、泥棒の虐待を受けてきたレストランのスタッフ全員を従え、料理に見立てた愛人の遺体を泥棒の許へと運ばせる妻の威厳に満ちた迫力といったらない。ヘレン・ミレンは最後のこの演技のために役を引き受けたのではと思うほどだ。妻にピストルを突き付けられ人肉を食らわされた泥棒は嘔吐し、人食いと罵られて撃たれる。おぞましいシーン。確かそのあとレストランのメニューが取り澄ました様子で映し出されて終わり・・・圧巻の結末だった。

その後もベイビーオブマコン、枕草子とグリーナウェイ作品を見た。特に前者は再びエログロ色が強い作品で、上映終了後、おそらくは衝撃のあまり俄かには立ち上がろうとしない観客が多かった。私も然り。グリーナウェイにはいつも悪趣味の美学を感じる。人を不快にさせるテーマやモチーフを独自の審美眼でスタイリッシュに描き、ワンシーンごとを一幅の絵のように仕上げる。そこには賛否両論を醸し出す芸術作品にありがちな背徳とか頽廃、倒錯などという概念は存在しない。彼自身が善悪の彼岸にいるからだ。こちらも好きな映画であるジュテームモワノンプリュを撮ったセルジュ・ゲンズブールにも悪趣味の美学を感じるが、彼の場合はどこかにシャイで繊細な素顔が見え隠れする。グリーナウェイのそれはゲンズブールのとは全く違う・・・純然たる愉楽の世界に屹立し、理想の実現のために冷徹な采配を振る巨人と言ったイメージがある。他に類を見ないアーチストだ。

多くの作品でコンビを組んだマイケル・ナイマンがコックと泥棒・・・でも音楽を担当していて、これがたまらなく好き。破滅に向かって進行し、クライマックスへと高まる物語を導いていくドラマチックなメロディ。以前、遊びに来た友人の前でこの曲をかけていたら、美しくないから止めてくれと言われた。グリーナウェイの映画に寄せたナイマンのスコアは確かに癖があってアクが強い。そこが彼の持ち味だと思っていたのが、その後ジェーン・カンピオンのThe pianoに書いたThe heart asks pleasure firstを聴いてびっくり。心はまず歓びを求める、のタイトル通り、恋した相手を求めて高まり、揺れ動く感情を切ないながらも官能的に表現していて、とても同じ人の手によるものとは思えない。天才だ。さすがグリーナウェイが長年コンビを組んだ相手、才能は才能を呼ぶのだろう。

 

カラーコーディネート 似合う色を身にまとえば美人度3割アップ

カラーコーディネートを試されたことはありますか?私は今まで計3回、日本人女性二人とイギリス人女性一人に診断してもらったことがありますが、見立ては大体同じでした。色々なカテゴライズの方法があり、私は四季のグループに分ける診断を2回受けたところ冬にグループ分けされました。冴えた、明度の高い色が似合うのが冬グループだということ。私はずっと枯れ葉色の似合う人に憧れていたのですが、自分は似合わないと感じていました。カラーコーディネートの結果やはりその通りで、残念ながら秋の色がダメなんだとか。カーキなんか大好きなんですけどね。若い頃エルメスのスカーフが流行り、数枚持っていましたが我ながら全く似合わないと思っていました。エルメスはパッケージからしてオレンジで、深みのある秋の色が豊富なので私には似合わなかったのです。納得。

もっと早いうちに診断してもらえばよかった、そうしたら無駄な買い物をせずに済んだのにとつくづく思います。昔はその年の流行色の服を何も考えずに購入していたものです。店の人は何色を着ても必ずお似合いですよとおっしゃいますしね。好きな色=似合う色とは限らないのが何とも切ないけれど、一緒に診断を受けた友人たちもコーディネーターのアドバイスに従って好きな色をあきらめ、勧められたグループの色を身に着け出したら美人度が3割ぐらいアップした( ^)o(^ )ように見えます。似合う色を着るのって大切なんですね。しかし友人のカラーコーディネーターから怖い話を聞きました。ごくたま~に何色も似合わない人がいるのだそうです。さすがに本人には伝えずこういう言い方はよくないですがなんとかごまかすのでしょうが、自分がそうだという可能性もないわけじゃなし、へ~と思いました。そういう人はモノトーンがいいのでしょうか。それはさておき、色を楽しむっていいですよね。色の名前というのも風情があって素敵なものが多いですし。日本の伝統色名と色見本とか飽かず眺めてしまいます。

レンチドール 20世紀トリノの贅沢な逸品

耽美的・頽廃的な作風で知られた中井英夫の作品に”人形たちの夜”という短編集がある。悪夢のような物語が人形を軸に展開され、読む者を魔界に誘う魅惑の書。その中の一編、母娘二代に亘る業を描いた”真夜中の鶏”のタイトルページに、乗馬パンツに革靴を履き、手に鞭を持って何かを睨みつけている男の子の人形の写真が載っていた。可愛らしく上品な男の子ながら、いわば邪眼の持ち主である。見たことのない独特の表情に心を奪われ調べてみると、20世紀初頭にイタリアのトリノに創設された人形工房・レンチの作品だった。

当時のトリノは布地の生産地として名高かったそうで、レンチドールはほとんどがフェルト製である。他のドールメーカーと一線を画していたのはその芸術性の高さ。子供のおもちゃとしてではなく、多くが装飾品としてデザインされていた。創設者のエンリコ・スカヴィーニとその妻エレナは創作のインスピレーションを演劇やオペラ、バレエリュスやコメディフランセーズなどに求めており、とりわけ顕著なのは当時の傑出したファッションイラストレーターの影響で、レンチドールにはジョルジュ・バルビエの描いた薔薇やレオン・バクストの幾何学模様がモチーフとして生かされているという。ジュモ―やブリュなどのビスクドールとは一味違う、フェルトの素材を生かした柔らかい表情のレンチドールに私は夢中になった。レンチドールの特徴はまずその眼差し。目が前方を直視している人形はまれで、大体左右どちらかを見ている。またその表情の豊かさも特筆すべきだろう。驚いた表情だったりふくれっ面だったり澄まし顔だったり、どれもリアルでチャーミングだ。

南青山にあった嶋田洋書でレンチドールの写真集を見つけた時は飛びあがるほどうれしく、早速購入した。双子の女の子、19世紀にヨーロッパを席巻したシノワズリー趣味の再燃を反映した、チャイナ服姿で阿片を喫う人々、日本の芸者、ラプンツェルやパンの神といった童話や神話に材をとったもの、ガラスの目をしたレアもの(なぜかこのタイプは、ペットの犬を連れた裕福な未亡人姿のものが多いという)などなど、ため息が出るような人形たち。実物を見てみたいと恋焦がれていたある日、全くの偶然で本物に会った。お茶の水は湯島の坂を少し上がった東大の竜岡門の近くのアンティークショップ・パニポートでのめぐり逢いである。雰囲気のある素敵な店に吸い寄せられるように入ると、店主の坂本さんに出迎えていただき、コーヒーをごちそうになりながら興味深い話を色々伺った。その日ちょうどレンチドールの持ち込みがあったようで、坂本さんが憧れのレンチドールを抱きかかえて査定していらしたのを覚えている。店内には何体もレンチドールが飾られていた。一体欲しかったが・・・当時の私には高価すぎて買えなかった。それから何年経っただろうー坂本さんが鬼籍に入られたことを知った時、胸の中を風が吹き抜けるような淋しさが走った。いつか坂本さんの店で買いたいとの願いは叶わなかった。今でもレンチドールというと、中井英夫の作品と坂本さんと素敵なお店を思い出す。下はレンチの入魂の傑作と言われるゴージャスなポンパドゥール夫人。

ワルキューレの騎行-好きな音楽がこともあろうに

何も大好きな歌曲を貶すわけではない。ただ、あまりにぴったりなのだ・・・ワーグナーのワルキューレ、獰猛にして俊敏なワルキューレたちを描いたactⅢ・Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! (ワルキューレの騎行) の出だしが、我が恐怖の邂逅を形容するのに。誰もが忌み嫌う不快害虫・G(これでお分かりかと思う)、いつも決まって慌ただしく登場する。それに出くわすと、何の因果かこの大好きな楽曲を思い出してしまう。ワルキューレの騎行の始まりは不意打ちを食らうような突然感が強く、ドラマチックでスピーディ。それがGの出現にリンクするなんて夢にも思わなかったのに。さまよえるオランダ人の出だしも突然感が強いが、なぜかワルキューレなのだ。でも、ワルキューレはオーケストラの演奏で楽しみたい・・・願わくば、夏の夜にキッチンに立つ自分の頭の中で突然激しく鳴り響いたりしないでほしい。

VOW! 20世紀末サブカル界を席巻したバイブル

手元にはもうVOW2!一冊しか残っていないのが残念。このシリーズ大好きだった。街の変なものとか、おかしな投書、笑いをとるつもりはないんだろうが笑える新聞記事、などなど、読者の投稿を編集した本。SNSのない時代はこういう媒体が大活躍した。ぴあのはみ出しって投稿欄も懐かしい。今でいえばツィートのようなものか。未だに忘れられないツィートが二つある。一つは、彼女にディスコ(!ディスコ!)に誘われたので、2階の自室でこっそり踊る練習をしていたら電気の配線工事の人にしっかり見られた”(-“”-)”という恥ずかし系。もう一つは、昔懐かしい伝言板での発見。当時は銀行の支店に伝言板があり、習い事の生徒募集などの書き込みがあったりした。そこに”家庭教師倒します(致します、の間違いですね当然)”と書いてあったという話。なんでこんなこと何十年も覚えているのか。もともと路上観察ブームの火付け役となった超芸術トマソンの大ファンで、故赤瀬川原平氏の感性に魅せられて長いのだが、宝島のVOWはその子供のような存在だろう。箸が転げてもおかしい年ごろはと~っくに過ぎていても、読むと笑ってしまい幸せな気分になる。これを読んでも笑えなくなったらお終いという気がする。

そうか830円だったのか。とにかく怒涛の笑いを呼ぶ投稿ばかりなので傑作を紹介しようとしても選べないほどだ。いまふと思い出した投稿。学校(高校か?)の歴史のテストで、ルイ14世だかの横顔のイラストについての問題があり、それがなんとかつらを外したルイ14世の顔を描けで、それじゃ歴史というより美術のテストだと大いに笑った。全く意図がわからない問題を出すセンスが素晴らしい。スーパーの特売で卵おひとり様2パックのところを4パック売れと座り込みの実力行使に出たおじさん、給食のおかずが一品足りないと激怒し授業を放棄した先生、ドラえもんのビデオを借りたまま半年近くも返却しなかった暴力団員などなど、芋づる式に浮かんできたこれらのエピソードは全て新聞記事からの抜粋である。なんとも平和な時代。子供の詩、誤植、意味不明の看板、笑いの種ってどこにでもあるものだ。辛いときも、苦しいときも、悲しいときも、笑いを忘れずに乗り越えていこうなんて健気に思わせてくれるVOWは人生の指南書だ。先に触れた赤瀬川氏の著作の中で、教養主義や美術史に捉われずに日本の美術を独自の視点で紹介した山下裕二氏との共著・日本美術応援団が特に私は好きで、そこで昨今ブームの伊藤若冲や曽我蕭白などを知った。私は勝手に彼のこともVOWと並んで人生の師と仰ぐ。合掌。

卒業 美魔女に誘惑されるチェリーボーイが真実の愛に目覚めて

原題はThe graduate、大学を卒業した者。ストッキングを穿く女の美脚を見つめる若い男のポスターも印象的な、1960年代を代表するアメリカンニューシネマの一つ。ラスト、教会での花嫁略奪のシーンは映画史に残る。それを先日数十年ぶりに見返した。一般にホラーよりコメディの方が寿命が長いと言われるが、なるほど今回もまた笑ってしまった。まず、これぞ年増女(当世風に言えば美魔女か)が若者を誘惑するマニュアルだと言わんばかりの指南を披露するミセスロビンソン(アン・バンクロフト)。アンチエイジングがもてはやされる昨今ではああいうおばさんぶりが堂に入った女優は少ない。誘惑されたベン(ダスティン・ホフマン)がミセスロビンソンとの密会のために初めてホテルを予約するシーンも笑える。最近、アン・バンクロフトとダスティン・ホフマンが実年齢では6歳しか違わないことを知って驚いた。片や若い男を翻弄する熟女を演じ、片や大学を出たばかりのチェリーボーイを演じて全く違和感ないのだから、アメリカの俳優の底力を見せつけられる。

ミセスロビンソンに操られ、彼女の意のままに情事を重ねるベン。そこに彼女の娘でベンの幼馴染でもあるエレーン(キャサリン・ロス)が夏休みで帰郷して・・・この映画でキャサリン・ロスは全米の恋人と言われるほどの人気を得たそうだ。清純で聡明で可愛らしくて、みなが熱狂したのも頷ける。大学院への進学を控えるものの、確たる目標もなく情事に溺れる虚しい日々を送るベンは、両親のすすめでエレーンとデートする。素直になれず自暴自棄なベンはエレーンをからかってやろうとストリップに連れていく。そこで涙を見せるエレーンの健気で美しいこと。ベンはそんなエレーンに惚れてしまう。二人がデートでドライブしながらバーを探すシーン、この辺にバーなんかないよというベンにエレーンはXXホテルにあるわと言う。そこはベンがミセスロビンソンと密会していたホテルで、動揺したベンが運転を誤りとっさに縁石か何かに車を乗りあげてしまうのも笑えるエピソードだった。

ベンを失いたくないミセスロビンソンの奸計でエレーンはベンと母親のあるまじき関係を知り、傷ついてベンの許を去る。エレーンを愛していることに気づいたベンはエレーンを追うのだが・・・最初はおどおどして内気なベンが、エレーンへの愛を自覚するにつれて積極的で力強い男に変わっていく過程を見せるダスティン・ホフマンの演技がすごい。両親とベンの世代間の齟齬を描いた映画でもあり、最後、教会から逃走するベンとエレーンが飛び乗ったバスの乗客が全員老人なのも象徴的である。二人の未来が決して輝かしいものではないことを暗示しているのだろうか。また、触れないわけにはいかないのが音楽を担当したサイモンとガーファンクル。卒業と言えば反射的に浮かんでくる楽曲の数々が素晴らしい。爽やかながら哀切なScarborough fair、陽気なMrs. Robinson、味わい深い歌詞のThe sound of silence。特にThe sound of silence の、沈黙が癌のように広がっていくという詩が忘れがたい。不気味な内容を美声で歌っているところにも魅せられる。

 

通りゃんせ 府中競馬正門前から競馬場へと向かう渡月橋

どんなに負けても、金が尽きようとしていても、金曜の夕方から元気が漲り、土曜の朝は希望に燃えて東京競馬場に出かける。人間は楽観的な生き物だというが、それにしても毎週このリズムを繰り返して生きている自分が不思議だ。京王線の府中競馬正門前駅で電車を降りて、そこから競馬場へと向かう道は私にとっては渡月橋だ。眼前に広がる競馬場の景色は四季折々に姿を変え、3月の桜、春の東京開催が始まる頃のみずみずしい新緑、夏競馬のさなかの力強い深緑、天皇賞秋からジャパンカップへと移る季節の深まりと共に黄金色の輝きを増す紅葉、落葉の後の寂しい冬枯れまで、どれも東京にいながら観光名所を訪れている気分にさせてくれる。

土曜も日曜も、朝は意気揚々と晴れやかに渡月橋を渡る。今日こそ獲れる、と根拠のない予感にはやる胸を抑えて。そして帰りの渡月橋はため息をつきながら歩く日が圧倒的に多い。その時いつも思うのだー通りゃんせの歌を。♪行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも通りゃんせ通りゃんせ♪行きはいいけど帰りは大変、でもさあさあお通りなさいよ、と競馬の神様(悪魔?)が渡月橋の手前で誘っている。そうと知りつつ通ってしまい、帰りに己の愚かさに気づく。競馬に魂を売った者の性か、競馬愛好者ならだれでも通る道だ。神隠し伝説をはじめこの歌の由来には諸説あるが、なんだか不思議で怖い歌。

そして打ちひしがれて府中の町を歩いていると、5時を知らせる”遠き山に日は落ちて”のメロディが流れる。これがまた淋しいー特に日が短くなっていくこの季節は。それでもまた週末の朝は希望に燃えて東京競馬場に行くのだろう。朝は通りゃんせの歌詞を、そんなことないよと思う。帰りはあああの歌の通りだったと肩を落とす。もう何週このパターンを続けていることか。でも、競馬を嗜まなければ通りゃんせを味わい深く思うこともなかっただろうし、人生に新たな発見を与えてくれる競馬はやはり素晴らしいと感慨にふける私である(+o+)

ミルコメダー気宇壮大な命名 またも競馬で博識に

11月3日、京都の芝1600mの新馬戦でクリスチャン・デムーロを背にデビューしたエイシンフラッシュ産駒のミルコメダ。結果は8着と振るわなかったものの、なんとも心に残る馬名。40億年以内に発生すると予測される巨大銀河の名前だそうだ。寡聞にして知らなかった。恥ずかしながら、味噌で有名な某食品メーカーの名をもじり、ミルコ・デムーロにちなんで小田切氏が名付けたのかと思った(それなのになぜクリスチャンでデビューなのかと解せなかった―とんだ勘違い)。実際は気宇壮大な命名である。これはほんの一例で、競馬から学ぶことは多い。2007年の凱旋門賞優勝馬、ディラントーマスはおそらく20世紀ウェールズを代表する詩人のディラン・トマスから名をとったのだと思うが、好きな詩人の名を冠した馬が凱旋門賞を勝つなんてとうれしくてたまらず、当時は彼の詩をよく読み返した。競走馬ディラントーマスによって、詩人ディラントマスへの興味が増幅したわけである。命の灯が消えかけている病床の父に捧げたDo not go gentle into that good night-あのやさしい夜に静かに眠ることなかれ‐とか、エロスとタナトスが相克するめくるめくようなイメージを詠ったThe force that through the green fuse drives the flower‐緑の導火線を通って花を駆る力‐とか好きだった。なんてインテリジェントな繋がり(*´▽`*)勝手に詩人のイメージを重ねて憧れていたディラントーマス、その年のJCの招待を受諾して来日、東京競馬場でその走りを見るのを楽しみにしていたのが、確か検疫の関係で出走は叶わず、残念だった。当時は凱旋門賞馬もJCに来たんだなんてしみじみ思う。

G1のレーシングプログラムに掲載されていた柳瀬尚紀さんの馬名解説も好きだった。競馬を始めた25年ぐらい前、立派なレーシングプログラムに柳瀬さんの博学に支えられた解説が載っているのを見て、競馬とはなんと知的で素敵な大人の遊びなのかと感激した。去年のスプリンターズステークスの日、そのコラムがなかったのでどうしたのかと気にしていたら、その夏に他界されていたのだった。アナグラムを多用した、遊び心いっぱいながらインテリジェントなコラム、あれがあるだけでレーシングプログラムに風格が漂っていたのに。合掌。最近はファミリーや女性を呼びこもうとするJRAの努力の甲斐あって競馬場も明るくきれいになり、赤ペンを耳に挟んだおじさんたちの嗜みという競馬のイメージも払拭されつつある。とはいえ賭け事ということで競馬を白眼視する向きも依然多いことは事実だ。そういった方たちには声を大にして言いたいー競馬をやっていると、好むと好まざるとにかかわらずさまざまな情報が入ってきて、物凄く博識になってしまうんですよ、とっても知的な趣味なんですよ、と。それに趣味とはどんなものでも金がかかるものだが、競馬とはその金が返ってくるかも知れない趣味だということも言い添えたい。そういえばディープインパクトも彗星の内部構造・物質を解明しようとするNASAの計画の名前だった。かくいう私もなんて物知りなのか(#^.^#)

G1は台風の激しさでやってくる

夏休み、旅行、コンサート・・・楽しみに思い描く未来はそれが実際始まるずっと前から始まっている。カレンダーを見て夏休みの始まりを確認した日、旅行の計画を立てた日、コンサートのチケットを買った日。最初の一歩を踏み出した時からその日が来るまで、期待に胸を膨らませて待つのは楽しい。年を重ねるにつれそんな機会は少なくなっていくけれど、私の場合今でも忘れられないのは、ディープインパクトが参戦した2006年の凱旋門賞を待ち焦がれた日々である。ディープの凱旋門賞参戦が正式に決定してから凱旋門賞当日まで、現地でライヴ観戦することだけを目標に生きたと言っても過言ではない。その凱旋門賞当日、朝からついに夢がかなう興奮のあまり何も喉を通らなかった私は、ロンシャン競馬場で粛然と発走時間を待ちつつ、ああこれを楽しみにこの数か月生きてきたのだから終わってしまったら他に何を夢見たらいいんだろう、いっそゲートが開かないでほしいなどと願った。今でもこの感覚は理解できる。何かが現実になる前こそ期待を抱き甘美な夢を見ることができるが、その瞬間が訪れたら最後、もうその狂おしいほどの高揚感は失われてしまうからだ。夢や希望が人に与える力の強いこと。だから人間はそれを糧に生きていけるのだろう。19世紀に生きたデンマークの哲学者・キルケゴールは絶望を死に至る病と呼んだ。確かにその通りだと思う。

G1の前にもいつも同様の感覚を味わう。レースのずっと前からG1という台風に巻き込まれ、翻弄され、自分もいつしか台風に同化していくような感じ。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているーニーチェの言葉を思い出す。本命はなに、穴ならどれ、と報道に惑わされつつ決戦の時を待つ。人々の欲望が怒涛のようにオッズに反映される。当てたい、儲けたい、馬券を買う者の思いはみな同じ。結末は誰にもわからない。できればこの疼くような興奮を終わらせたくない。心地よい攪乱に酔い痴れていたい。勝っても負けても、滾る思いはそれで終わりだから。G1の度、めくるめく光景が眼前を過る。往々にして自分の予想とは違う結末が訪れ、馬券も風の藻屑となる。落胆するだけならまだしも、被害額が大きいと胸が焼けるような激しい痛みが走り、目の前が真っ暗になるーでもまあいいか、こんな激烈な感覚はほかのことでは味わえないのだから、これも競馬を嗜む者の幸せと心得よう、と自分に言い聞かせーなんて健気な競馬ファン。台風一過は清々しいが、すぐにまた次のG1台風の到来を心待ちにする。ギャンブラーは本質的にオプティミストなのか。