罪深きめんどり

このタイトルがなんだかわかる人がどれだけいるだろう。10年以上前、日本人公務員である夫が横領した10数億もの公金を貢がせ、悪女と騒がれたチリ妻アニータ。彼女がチリでリリースした歌のタイトルである。他にアニータ大統領、自称マッチョ、日本のホクロ、という歌があった。日本のホクロは確か日本人男性をバカにした歌だった。このネーミングセンス素晴らしい。チリではヒロインのように迎え入れられたのか、時の人のパワーは凄く、アニータのレコーディングシーンを放映する日本の放送局もあった。それをしっかり見て未だに覚えている自分が笑えるが、こういう話って心に残る。ユーミンも名作・”時のないホテル”で、♪堅いニュースはすぐに忘れてゴシップだけが残る♪と歌っていたっけ。2017年ももうすぐ暮れる。今年も数えきれないゴシップが世間を賑わせた。罪深きめんどりの話、私はたぶん一生忘れないだろうが、今年のゴシップでそれだけ寿命が長いものがあるかどうか。直近のホットな話題は船越・松居の離婚成立と太川陽介が夫人の密会疑惑を受けて行った記者会見。前者にはいい印象がないものの、太川陽介のは未見ながらなんか面白い。Youtubeで彼のLui Luiパフォーマンスまで見てしまった。そして気づいたこと・・・LとRの判別、日本人には難しいのに、太川陽介はしっかりLでルイルイと言っている。だから何?いえ、それだけだけど印象的。奥様、明るいルイルイで皆を幸せにする太川陽介のためにも罪深きめんどりにはならないでください。太川陽介、若い頃かっこよかったんですね。。。

煙草との別れ 愛しい君は二度と会えない彼方へ こんな禁煙方法もある

父が病院で闘病生活を送っていた時、病の進行と共に人の手を借りずには喫煙室まで行けなくなり(当時は病院内に喫煙室が設けられていた)、一人では好きな煙草も喫えないと嘆いていた。その姿を見て、自分がもしそうなったら辛いだろうと禁煙を思い立ったのである。しかし思い立ったはいいが、どう実行するべきか迷った。金を払って禁煙外来に行く気はなかった。タバコがいかに有害かを説く文書を読んでも効き目はないだろうと思った。どちらも長期的にみたら失敗に終わりそうな気がしたのである。長い間、嬉しいときも哀しいときも片時も離れずにきた友というか恋人のような存在である。掌を返すように悪者扱いするのは心苦しい。これは意識を変えなければ無理だと思い、大好きな人と別れる気持ちで禁煙しようと決めた。さよならだけが人生だの名言もある通り、人生に別れは付きもの。自分で意志的に選ぶ別れもあれば、相手の決断でいかんともしがたい別れもあり、果ては死別という最も悲しい別れもある。いずれにしろ、深くかかわりを持った相手との別れはつらい。

コンビニで、kioskで、数百円と引き換えに手に入れられる煙草を、運命のいたずらでもう二度と会えない人と思うようにした。何かの拍子に異次元にワープした、あるいはタイムトラベルでプトレマイオス朝の彼方へ飛んでいってしまった煙草にはもう会えない。街で見かける煙草は全て偽物で私の恋人ではない。そんな風に自分自身を洗脳し、まだ中に数本残っていた煙草のパッケージを捨てた。それ以来二度と煙草に触っていない。何度かの試行錯誤を経てではなく、一回の洗脳で煙草をやめた。禁断症状や苛立ち、倦怠感もなかった。一般に指摘されている煙草の依存性を疑わしく思ったほどだ。一種の脳内革命だったと自分では思っている。それから約10年が経ったが、煙草は一度も喫っていない。強い意志の力でやめる!と意気込んだり、どうしてもやめなければと自分を追い詰めていたら無理だったと思う。発想の転換は大切だ。喫煙者には肩身の狭いご時世、この傾向は今後一層強まるだろうが、天邪鬼な自分は、誰もが煙草などやめるころ時代に逆行してまた喫ってみたいなどと周囲に吹聴している。

フレンチジョーク アムールの国フランス娘に魅せられて

ある男が秘書を探していると、3人の若い女性が面接に訪れた。一人はアメリカ人。もう一人はイギリス人。最後の一人はフランス人。誰にするか迷った彼は、今からする質問に一番いい回答を出した女性を雇うことにした。”あなたは眉目秀麗で男らしい一流アスリート24人と一緒にプライベートジェットに乗っています。女性はあなた一人です。そのジェット機は故障し、砂漠の真ん中に不時着してしまいます。そこにはあなたとアスリートたちの他には誰もいません。さてあなたならどうしますか?”アメリカ人女性は即座に答えた。”私は自分の身は自分で守ります。私の祖国は開拓者精神が生き続ける国ですから。私は彼らを外に誘導してから飛行機に乗り込み、ドアを封鎖して救助隊が来るのを待ちます” ”なるほど”と男は言ってイギリス人女性の方を向き”あなたならどうしますか?”と尋ねた。イギリス人女性は”私は長きにわたる騎士道精神の伝統を持つ国の出身です。輝ける鎧に身を包んだ騎士たちの伝説はご存知でしょう。私は一番屈強な男性を見つけて、彼に私の名誉を守ってくれるように頼みます。彼はきっと私を守ってくれます”男はいかにも、といった風に頷き、”わかりました、ではあなたは?”とフランス人女性に尋ねた。フランス人女性は長いこと考えていた。あまりに長いので男はイライラして言った。”質問の意味がわからないのですか?”フランス人女性は肩をすくめて答えた。”もちろん意味はわかっていますよ。でも一体何が問題なの?”

これはブリジット・バルドーの伝記”Bardot Two lives”で紹介されていたフレンチジョーク。バルドーは20世紀のフランス女優の中で一番ぐらいに好きな女優さん。パリ16区のブルジョワ出身のお嬢様ながら、当時はタブーとされていたヌードやセックスにも実にオープンで、奔放で天衣無縫な魅力の持ち主だった。もともとバレリーナを目指していた彼女は目を見張る美しいプロポーションを誇り、とわざわざ言わなくてもこの写真でご理解いただけるだろう、ヴィーナスの如き豊かなバスト、49センチと言われる驚異的に細いウエスト(最初の夫のヴァディムが両手を回せたほどだという)や、アキレス腱が削げたような切れ味鋭い足首など全て羨ましい限りである。この美貌でこのスタイル、多くの男性を虜にし、翻弄した。ヴァディムはバルドーと別れた後、アネット・ストロイベルグ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダと交際し、それぞれをスターダムに押し上げていったが、最初がバルドーっていうのが許せない、と誰かが言っていた。わかります。一番女として魅力的に思えるもの。いいね、フランス娘!

半老徐娘 =姥桜?21世紀なら美魔女か熟女か

北京語を学んでいたとき、台湾の柏楊という作家の小説・一束花(もしかしたら違うタイトルだったかもしれない)を読んだ。ずいぶん昔の話なので内容は忘れてしまったものの、美しい短編だった。そこにこの半老徐娘という言葉が出てきたのである。あまりいい意味では使われていなかった。辞書には姥桜とあったが、姥桜なんて死語だし、どうも解せない。その後、日本語が堪能な同僚の中国人女性に尋ねたら、当時30代半ばだったと思しき彼女はこう答えた。”いま私が半老徐娘と言われたらいやだけど、もっと年を取ってから言われたら嬉しいかも知れない”。でも彼女もふさわしい日本語訳を探し当てられなかった。未だに気になる。年をとってはいても十分色香を残している女性を指すのだろうが、今で言うなら美魔女や熟女か。もっと正統な訳がないものか、なお模索中である。ちなみに半老徐娘でgoogleで画像を検索したところ・・・熟年のお見合い写真みたいな艶なるマ~ダムの写真がたくさん出てきた。なるほど!

他人の空似 言っていいのか悪いのか・・・でも似ている

何故か知らねど・・・誰と誰が似ているって話、みな好きではないですか?テレビの物まねは故意に似せてるわけだけど昔から定番としてあるし、女性週刊誌で似ている特集組んでいたりもするし。かくいう私も好きなのだが。みなドッペルゲンガーを見物したいのだろうか。そんなわけはないか。今日は思いつくまま、他人の空似を挙げてみたい。お笑い芸人?の有吉って人、私にはクリムゾンキングの宮殿の歌詞カードに描かれている謎の笑顔に見える。怖いんだかおかしいんだかわからない、このイラスト。クリムゾンキングの宮殿はすごく好きなアルバムなのだが、ジャケットといいこの顔といい・・・21 century schizoid manの権化だろうか。

またお笑い芸人で芥川賞作家の又吉と言う人は、17世紀スペインを代表する宮廷画家・ベラスケスの描いた青いドレスのマルガリータ(こちらは故岸田今日子さんの面影もある)とフェリペ・プロスぺロ王子が混然一体となったように見える。スペイン・ハプスブルク家の高貴な青い血の通う顔と言うべきか。

シャネルやラペルラなど世界の高級ブランドのモデルを務めるLiu Wen。非常に美しい人なのだが、光線の加減でロバートの秋山に見える。こちらはラペルラの2017SSカタログ。私の感覚ではどうしてこのショットを採用したのかと思うが、西洋人にとっては構わないのだろう。ロバートの秋山がLiu Wenに似ているとは言えず、逆も真なり、ではないが。ロバートの秋山と言えば、アーチストの村上隆ともだぶる。

まだまだ探せば色々あるだろうがとりあえず今日はこれまで。

アブラゼミゼラブルー蝉しぐれが静寂を呼ぶ夏の感傷

夏のわずかな期間、圧倒的な蝉しぐれを聞かせる油蝉。その姿は(私には)グロテスクで醜い。激しい蝉しぐれを浴びながら、夏の陽炎に揺らめいて旺盛な生命力に溢れる向日葵を見ていると、時間が止まったかのような静寂を感じる時がある。蝉しぐれの喧噪が呼ぶ静寂。炎暑ー生命がその頂点を極める力強い季節が静寂と結びつくのは不思議だが、それも生と死が存在の表裏一体に過ぎないせいだろうか。そんな哲学的命題を頭に過らせる夏は、なぜかいつも残酷な季節に思える。無鉄砲に飛び交い束の間の生を謳歌した後、地面に転がる油蝉の無残な死骸。生と死の荒々しい対比。見るたびにアブラゼミゼラブルと言いたくなる。夏の感傷。

ワルキューレの騎行-好きな音楽がこともあろうに

何も大好きな歌曲を貶すわけではない。ただ、あまりにぴったりなのだ・・・ワーグナーのワルキューレ、獰猛にして俊敏なワルキューレたちを描いたactⅢ・Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! (ワルキューレの騎行) の出だしが、我が恐怖の邂逅を形容するのに。誰もが忌み嫌う不快害虫・G(これでお分かりかと思う)、いつも決まって慌ただしく登場する。それに出くわすと、何の因果かこの大好きな楽曲を思い出してしまう。ワルキューレの騎行の始まりは不意打ちを食らうような突然感が強く、ドラマチックでスピーディ。それがGの出現にリンクするなんて夢にも思わなかったのに。さまよえるオランダ人の出だしも突然感が強いが、なぜかワルキューレなのだ。でも、ワルキューレはオーケストラの演奏で楽しみたい・・・願わくば、夏の夜にキッチンに立つ自分の頭の中で突然激しく鳴り響いたりしないでほしい。