モテる男の人

もう20年以上も前に一世を風靡した、失楽園の映画を観ました。当時はいわゆる婚外恋愛にも寛容だったんですね。死に最も近いところに究極の快楽があることを描いている点で、渡辺淳一は三島由紀夫の憂国を意識したのかと思ったら、有島武郎の心中事件がモデルだそうですね。失楽園の二人の道行は軽井沢ですが、そういえば軽井沢で有島武郎終焉の地って碑を見た記憶があります。

この小説が流行ったの凄くよく分かります。日経新聞の連載で、そこにはターゲット読者と思しき中年男性が夢見そうなことの全てがあったのですもの―美女とのデート、旅行、グルメ。50を過ぎ、会社で閑職に追いやられた男性の悲哀というのも共感を呼んだのではないでしょうか。で、映画版で、役所広司演じる主人公の男性が、あ~これはモテる男性の台詞だなとしみじみ思わせる言葉を吐くのです。

相手の女性が鴨とクレソンの鍋が好きと言う。鴨とクレソンって人によっては苦手な取り合わせにも思えますが、彼はすかさず、俺も好きになる!と言うのです。“あ~俺それダメ”とか”俺はちょっと”ではなく、ポジティブでいい返答だと思いませんか。例えばデブ、ではなくふくよか。変な顔、ではなく個性的。派手、ではなく華やか。少しでも肯定的な響きのある言葉は人を幸せにします。あの映画で一番印象的だったのは個人的にはそのシーンでした。

フレンチジョーク アムールの国フランス娘に魅せられて

ある男が秘書を探していると、3人の若い女性が面接に訪れた。一人はアメリカ人。もう一人はイギリス人。最後の一人はフランス人。誰にするか迷った彼は、今からする質問に一番いい回答を出した女性を雇うことにした。”あなたは眉目秀麗で男らしい一流アスリート24人と一緒にプライベートジェットに乗っています。女性はあなた一人です。そのジェット機は故障し、砂漠の真ん中に不時着してしまいます。そこにはあなたとアスリートたちの他には誰もいません。さてあなたならどうしますか?”アメリカ人女性は即座に答えた。”私は自分の身は自分で守ります。私の祖国は開拓者精神が生き続ける国ですから。私は彼らを外に誘導してから飛行機に乗り込み、ドアを封鎖して救助隊が来るのを待ちます” ”なるほど”と男は言ってイギリス人女性の方を向き”あなたならどうしますか?”と尋ねた。イギリス人女性は”私は長きにわたる騎士道精神の伝統を持つ国の出身です。輝ける鎧に身を包んだ騎士たちの伝説はご存知でしょう。私は一番屈強な男性を見つけて、彼に私の名誉を守ってくれるように頼みます。彼はきっと私を守ってくれます”男はいかにも、といった風に頷き、”わかりました、ではあなたは?”とフランス人女性に尋ねた。フランス人女性は長いこと考えていた。あまりに長いので男はイライラして言った。”質問の意味がわからないのですか?”フランス人女性は肩をすくめて答えた。”もちろん意味はわかっていますよ。でも一体何が問題なの?”

これはブリジット・バルドーの伝記”Bardot Two lives”で紹介されていたフレンチジョーク。バルドーは20世紀のフランス女優の中で一番ぐらいに好きな女優さん。パリ16区のブルジョワ出身のお嬢様ながら、当時はタブーとされていたヌードやセックスにも実にオープンで、奔放で天衣無縫な魅力の持ち主だった。もともとバレリーナを目指していた彼女は目を見張る美しいプロポーションを誇り、とわざわざ言わなくてもこの写真でご理解いただけるだろう、ヴィーナスの如き豊かなバスト、49センチと言われる驚異的に細いウエスト(最初の夫のヴァディムが両手を回せたほどだという)や、アキレス腱が削げたような切れ味鋭い足首など全て羨ましい限りである。この美貌でこのスタイル、多くの男性を虜にし、翻弄した。ヴァディムはバルドーと別れた後、アネット・ストロイベルグ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダと交際し、それぞれをスターダムに押し上げていったが、最初がバルドーっていうのが許せない、と誰かが言っていた。わかります。一番女として魅力的に思えるもの。いいね、フランス娘!

半老徐娘 =姥桜?21世紀なら美魔女か熟女か

北京語を学んでいたとき、台湾の柏楊という作家の小説・一束花(もしかしたら違うタイトルだったかもしれない)を読んだ。ずいぶん昔の話なので内容は忘れてしまったものの、美しい短編だった。そこにこの半老徐娘という言葉が出てきたのである。あまりいい意味では使われていなかった。辞書には姥桜とあったが、姥桜なんて死語だし、どうも解せない。その後、日本語が堪能な同僚の中国人女性に尋ねたら、当時30代半ばだったと思しき彼女はこう答えた。”いま私が半老徐娘と言われたらいやだけど、もっと年を取ってから言われたら嬉しいかも知れない”。でも彼女もふさわしい日本語訳を探し当てられなかった。未だに気になる。年をとってはいても十分色香を残している女性を指すのだろうが、今で言うなら美魔女や熟女か。もっと正統な訳がないものか、なお模索中である。ちなみに半老徐娘でgoogleで画像を検索したところ・・・熟年のお見合い写真みたいな艶なるマ~ダムの写真がたくさん出てきた。なるほど!

アブラゼミゼラブルー蝉しぐれが静寂を呼ぶ夏の感傷

夏のわずかな期間、圧倒的な蝉しぐれを聞かせる油蝉。その姿は(私には)グロテスクで醜い。激しい蝉しぐれを浴びながら、夏の陽炎に揺らめいて旺盛な生命力に溢れる向日葵を見ていると、時間が止まったかのような静寂を感じる時がある。蝉しぐれの喧噪が呼ぶ静寂。炎暑ー生命がその頂点を極める力強い季節が静寂と結びつくのは不思議だが、それも生と死が存在の表裏一体に過ぎないせいだろうか。そんな哲学的命題を頭に過らせる夏は、なぜかいつも残酷な季節に思える。無鉄砲に飛び交い束の間の生を謳歌した後、地面に転がる油蝉の無残な死骸。生と死の荒々しい対比。見るたびにアブラゼミゼラブルと言いたくなる。夏の感傷。

ワルキューレの騎行-好きな音楽がこともあろうに

何も大好きな歌曲を貶すわけではない。ただ、あまりにぴったりなのだ・・・ワーグナーのワルキューレ、獰猛にして俊敏なワルキューレたちを描いたactⅢ・Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! (ワルキューレの騎行) の出だしが、我が恐怖の邂逅を形容するのに。誰もが忌み嫌う不快害虫・G(これでお分かりかと思う)、いつも決まって慌ただしく登場する。それに出くわすと、何の因果かこの大好きな楽曲を思い出してしまう。ワルキューレの騎行の始まりは不意打ちを食らうような突然感が強く、ドラマチックでスピーディ。それがGの出現にリンクするなんて夢にも思わなかったのに。さまよえるオランダ人の出だしも突然感が強いが、なぜかワルキューレなのだ。でも、ワルキューレはオーケストラの演奏で楽しみたい・・・願わくば、夏の夜にキッチンに立つ自分の頭の中で突然激しく鳴り響いたりしないでほしい。