天井桟敷の人々 東京競馬場の伝説のファミリーはどこへ

天井桟敷とは劇場の最後方、天井に近い観覧席で、狭く見にくいため安い料金で庶民に提供される場所だった。この席は某劇場で”天国”と称され、そこに押しかけて無邪気に騒ぎ、野次を飛ばす貧しい人々は天国の子供たちと呼ばれていた。それがこのフランス映画史に残る名画・天井桟敷の人々の原題・Les enfants du paradisである。3時間を超える大作で、初めて銀座の名画座で観たときは緊張した。名作に触れる喜びと若い自分に理解できるかという不安で胸がいっぱいで。純情だった青春時代の話である。恋なんて簡単よと軽くあしらう艶っぽい中年女・ガランス(フランス語で茜の意味。アルレッティが演じた)と彼女への恋に打ち震える繊細な若者・バチスト(ジャン=ルイ・バロー)。初めて観たときはどうしてあんなおばさんを・・・と不思議でならなかった。確かに子供にはわからない大人の色香。年増女の爛熟した魅力をまき散らすアルレッティは、20世紀フランス映画界の艶女№1かも知れない。最後、人ごみの中ではぐれていくガランスを、ガランス!ガランス!と絶望的に追いかけるバチストの姿が忘れがたい。しかしなぜここで天井桟敷の人々なのか。それは東京競馬場の伝説のファミリーの思い出につながる。起源がいつなのか定かではないが、恐らく昭和の時代から数十年に亘り、東京競馬場の観覧席で覇権を誇った人々である。ここにその物語をお聞きくだされ(琵琶法師風(+o+)

東京競馬場の4階、21番柱の前は、天井桟敷とは違いウイナーズサークルを臨む絶好の観覧席である。そこを占拠し陣地とした競馬ファンたちがいた。その棟梁は真顔で趣味は競馬場の席取りとのたまう変わり者。彼が競馬場を訪れるのは馬券を買うためではなく、観覧席を確保するためなのだ。新宿に住んでいた彼は毎土曜日の朝まだき、新宿二丁目のカップルたちが別れを惜しんで集う公園を抜け、始発電車で競馬場に駆け付ける。土曜の競馬が終わると翌日曜日のために係員が去るのを待って敷物を広げ最前列の場所取りをし、日曜日は再び始発で馳せ参じる。仕事で穴をあけざるを得ない日を除き、何十年もそれが彼の土日のルーティンだった。G1の前ともなれば一週間以上前からファミリーメンバーが交代で一番前の場所を確保し、当日は数十人が開門ダッシュを決めて走った。PCを背負いながら最速の上がりで前を行くメンバーを差し切って席を押さえる強者もいた。転んで骨折した輩も一人や二人ではない。東京の三大G1・ダービー、天皇賞、JCの前日は寝袋を持っての泊まり込みは当然の頼もしさ。ガムテープに大量のチラシ、タオルなどでの陣取り合戦。話は逸れるが、数年前のダービー前日、門前で列を成す熱心なファンたちの前に故・後藤浩輝騎手が現れ缶コーヒーをふるまったそうで、棟梁をはじめとするファミリーはみな感激していた。気配りの人だったのだろう。合掌。

ダービーの日は、そのファミリーだけで200もの席を確保したこともある。ダービーの早朝に東京競馬場を訪れた方はおわかりだろう、あれだけの収容力を誇る観覧席が開門と同時に一瞬で埋まる。それほど熾烈な戦いが繰り広げられるのだ。もちろん200人ものファミリーがやってくるわけではなく、当日席を求めて彷徨う人々に譲ったりするのだから気前がいいと言おうか。棟梁はそれが何より楽しそうだった。そしてファミリーはどんどん膨れ上がっていった。JRAの職員に目をつけられてはいたが、その牙城を崩すことは誰にもできなかった。絶好のロケーションであれ、無料の席でにぎやかに競馬を楽しむファミリーは、私の目にはまさに天井桟敷の人々に見えた。それが今年の天皇賞秋・・・大雨に見舞われたあの日、21番柱の前にそのファミリーの姿はなかった。東京競馬場に異変あり。あれだけ熱心に、というか偏執的なまでにあの場所を死守した棟梁に何があったのだろう。人もまばらな夏競馬の時でさえ陣取っていたのに、G1の日に姿を見せないなんてあり得ない。天井桟敷の人々はどこへ行ってしまったのか。彼らのいない21番柱の前を通るとき、一抹の寂しさが胸を過るのを禁じ得ない。

崖っぷちブルース 日刊スポーツ競馬コラムのお気に入り

日刊スポーツを長く愛読している。主に読むのは競馬の紙面。この崖っぷちブルースが毎土日楽しみなのである。筆者・山田準氏が御大、舎弟、番頭といった怪しき呼称で呼ぶ友人・知人氏が毎回登場し、その衝撃的な崖っぷち人生を披露して読者に勇気を与えてくれる。この世は悲哀の渦だから、♪ブルースっていい。崖っぷちマンボ、崖っぷちルンバ、崖っぷちポルカなども滑稽味があって笑えるかもしれないが。崖っぷちタンゴなんて踊ったら危なそうだ(アルゼンチン共和国杯の後、東京競馬場のパドックで行われる恒例のアルゼンチンタンゴのパフォーマンスを見て思った(+o+) かつては、最近惜しまれながら競馬担当から異動した鬼デスク・S氏の穴の法則、場外ホームランなんていうコーナーも好きだった。聖なるころがしも懐かしい(確か異動で最後のコラムとなった日、見事聖なるころがしを成功させて有終の美を飾ったはずだ。お見事!)デジタルメディアの普及で紙のメディアはほとんど買わなくなったが、土日の朝コンビニでスポーツ新聞を買い、それを新しいインクの匂いを嗅ぎながら競馬場で広げる楽しみは格別で、これがないと競馬場の一日が始まらない。年季の入った競馬ファンには通過儀礼なのである。

咳をしても一人・・・競馬で負けて何故か尾崎放哉

尾崎放哉。中学生のころ教科書で学んだ。その後詳細な伝記を読んだが、金はなく酒乱なくせに東大出を鼻にかける、みなに嫌われる人物とのことだった。秀才なのにエリートコースを外れ、極貧の中で俳句を作ったという。咳をしても一人。こんな日もある。今日は嫌いな騎手が勝ったので面白くなく、馬券も外し、東京競馬場からの帰り道、5時を告げる遠き山に日は落ちてがひときわ淋しく胸に響いた。冷たい木枯らしに吹かれ、懐も寒く・・・好悪の感情は厄介だ。つまらないことで機嫌が悪くなる狭量な自分が情けない。嫌いって感情って何なんだろう。今更ながらそんなことを考えた。

いまNHKフィギュアで友野一希がウェストサイドストーリーをBGMに演技している。この映画も本家ロミオとジュリエットと同じく、憎しみ合い対立する若者たちの悲劇を描いていた。若さゆえ、共存の道を模索するではなく、やるかやられるかの袋小路に自分たちを追いやって破滅への道を突き進む不良グループの若者たち。大人にすれば、まあまあ仲良くやりなさいよと言ってやりたいくらい憎しみ合う理由など見当たらないのだが、彼らはもう盲目的に相手が嫌いなのだ。不倶戴天の仲。嫌いという根深い感情はどうしようもなく心にはびこり、負のオーラで満たす。もちろん不快な状態だ。かと言ってそこから脱却するのは容易ではない。

何かを好きになる気持ちを止めることができないように、その逆も然り。好きも嫌いも一種の執着の光と影なのか。何かを愛する力がある限り何かを嫌う力もあるのだろう。生きていく上で避けようがない感情だ。それを超越するにはO嬢の物語のO嬢のようにアパテイアに至るか、釈迦のように涅槃に入るしかない…現実的ではない。人は死ぬまでそんな心の振幅に翻弄され、滑稽にのたうち回るのだろう。なんて慰めにこんなこと言ってもやっぱり嫌いなものは嫌い。好きにはなれない。人間は業が深い。今日はつまらない自分を感じてとにかく孤独。咳をしても一人。尾崎放哉を身近に感じる。彼は自己嫌悪と諦めの中で自虐的にこの句を詠んだのだろう。こんなよい月を一人で見て寝る。これも放哉。競馬で負けて尾崎放哉に共感するとは不思議な縁だ。ソクラテスも言うように、人間は不幸を感じると哲学する傾向がある。知性を鍛えるのは素晴らしいことだが、私は馬券を当ててハッピーで能天気に過ごしたいと切に願う。特に冬へと向かうこんな淋しい夜には。

通りゃんせ 府中競馬正門前から競馬場へと向かう渡月橋

どんなに負けても、金が尽きようとしていても、金曜の夕方から元気が漲り、土曜の朝は希望に燃えて東京競馬場に出かける。人間は楽観的な生き物だというが、それにしても毎週このリズムを繰り返して生きている自分が不思議だ。京王線の府中競馬正門前駅で電車を降りて、そこから競馬場へと向かう道は私にとっては渡月橋だ。眼前に広がる競馬場の景色は四季折々に姿を変え、3月の桜、春の東京開催が始まる頃のみずみずしい新緑、夏競馬のさなかの力強い深緑、天皇賞秋からジャパンカップへと移る季節の深まりと共に黄金色の輝きを増す紅葉、落葉の後の寂しい冬枯れまで、どれも東京にいながら観光名所を訪れている気分にさせてくれる。

土曜も日曜も、朝は意気揚々と晴れやかに渡月橋を渡る。今日こそ獲れる、と根拠のない予感にはやる胸を抑えて。そして帰りの渡月橋はため息をつきながら歩く日が圧倒的に多い。その時いつも思うのだー通りゃんせの歌を。♪行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも通りゃんせ通りゃんせ♪行きはいいけど帰りは大変、でもさあさあお通りなさいよ、と競馬の神様(悪魔?)が渡月橋の手前で誘っている。そうと知りつつ通ってしまい、帰りに己の愚かさに気づく。競馬に魂を売った者の性か、競馬愛好者ならだれでも通る道だ。神隠し伝説をはじめこの歌の由来には諸説あるが、なんだか不思議で怖い歌。

そして打ちひしがれて府中の町を歩いていると、5時を知らせる”遠き山に日は落ちて”のメロディが流れる。これがまた淋しいー特に日が短くなっていくこの季節は。それでもまた週末の朝は希望に燃えて東京競馬場に行くのだろう。朝は通りゃんせの歌詞を、そんなことないよと思う。帰りはあああの歌の通りだったと肩を落とす。もう何週このパターンを続けていることか。でも、競馬を嗜まなければ通りゃんせを味わい深く思うこともなかっただろうし、人生に新たな発見を与えてくれる競馬はやはり素晴らしいと感慨にふける私である(+o+)

ミルコメダー気宇壮大な命名 またも競馬で博識に

11月3日、京都の芝1600mの新馬戦でクリスチャン・デムーロを背にデビューしたエイシンフラッシュ産駒のミルコメダ。結果は8着と振るわなかったものの、なんとも心に残る馬名。40億年以内に発生すると予測される巨大銀河の名前だそうだ。寡聞にして知らなかった。恥ずかしながら、味噌で有名な某食品メーカーの名をもじり、ミルコ・デムーロにちなんで小田切氏が名付けたのかと思った(それなのになぜクリスチャンでデビューなのかと解せなかった―とんだ勘違い)。実際は気宇壮大な命名である。これはほんの一例で、競馬から学ぶことは多い。2007年の凱旋門賞優勝馬、ディラントーマスはおそらく20世紀ウェールズを代表する詩人のディラン・トマスから名をとったのだと思うが、好きな詩人の名を冠した馬が凱旋門賞を勝つなんてとうれしくてたまらず、当時は彼の詩をよく読み返した。競走馬ディラントーマスによって、詩人ディラントマスへの興味が増幅したわけである。命の灯が消えかけている病床の父に捧げたDo not go gentle into that good night-あのやさしい夜に静かに眠ることなかれ‐とか、エロスとタナトスが相克するめくるめくようなイメージを詠ったThe force that through the green fuse drives the flower‐緑の導火線を通って花を駆る力‐とか好きだった。なんてインテリジェントな繋がり(*´▽`*)勝手に詩人のイメージを重ねて憧れていたディラントーマス、その年のJCの招待を受諾して来日、東京競馬場でその走りを見るのを楽しみにしていたのが、確か検疫の関係で出走は叶わず、残念だった。当時は凱旋門賞馬もJCに来たんだなんてしみじみ思う。

G1のレーシングプログラムに掲載されていた柳瀬尚紀さんの馬名解説も好きだった。競馬を始めた25年ぐらい前、立派なレーシングプログラムに柳瀬さんの博学に支えられた解説が載っているのを見て、競馬とはなんと知的で素敵な大人の遊びなのかと感激した。去年のスプリンターズステークスの日、そのコラムがなかったのでどうしたのかと気にしていたら、その夏に他界されていたのだった。アナグラムを多用した、遊び心いっぱいながらインテリジェントなコラム、あれがあるだけでレーシングプログラムに風格が漂っていたのに。合掌。最近はファミリーや女性を呼びこもうとするJRAの努力の甲斐あって競馬場も明るくきれいになり、赤ペンを耳に挟んだおじさんたちの嗜みという競馬のイメージも払拭されつつある。とはいえ賭け事ということで競馬を白眼視する向きも依然多いことは事実だ。そういった方たちには声を大にして言いたいー競馬をやっていると、好むと好まざるとにかかわらずさまざまな情報が入ってきて、物凄く博識になってしまうんですよ、とっても知的な趣味なんですよ、と。それに趣味とはどんなものでも金がかかるものだが、競馬とはその金が返ってくるかも知れない趣味だということも言い添えたい。そういえばディープインパクトも彗星の内部構造・物質を解明しようとするNASAの計画の名前だった。かくいう私もなんて物知りなのか(#^.^#)

G1は台風の激しさでやってくる

夏休み、旅行、コンサート・・・楽しみに思い描く未来はそれが実際始まるずっと前から始まっている。カレンダーを見て夏休みの始まりを確認した日、旅行の計画を立てた日、コンサートのチケットを買った日。最初の一歩を踏み出した時からその日が来るまで、期待に胸を膨らませて待つのは楽しい。年を重ねるにつれそんな機会は少なくなっていくけれど、私の場合今でも忘れられないのは、ディープインパクトが参戦した2006年の凱旋門賞を待ち焦がれた日々である。ディープの凱旋門賞参戦が正式に決定してから凱旋門賞当日まで、現地でライヴ観戦することだけを目標に生きたと言っても過言ではない。その凱旋門賞当日、朝からついに夢がかなう興奮のあまり何も喉を通らなかった私は、ロンシャン競馬場で粛然と発走時間を待ちつつ、ああこれを楽しみにこの数か月生きてきたのだから終わってしまったら他に何を夢見たらいいんだろう、いっそゲートが開かないでほしいなどと願った。今でもこの感覚は理解できる。何かが現実になる前こそ期待を抱き甘美な夢を見ることができるが、その瞬間が訪れたら最後、もうその狂おしいほどの高揚感は失われてしまうからだ。夢や希望が人に与える力の強いこと。だから人間はそれを糧に生きていけるのだろう。19世紀に生きたデンマークの哲学者・キルケゴールは絶望を死に至る病と呼んだ。確かにその通りだと思う。

G1の前にもいつも同様の感覚を味わう。レースのずっと前からG1という台風に巻き込まれ、翻弄され、自分もいつしか台風に同化していくような感じ。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているーニーチェの言葉を思い出す。本命はなに、穴ならどれ、と報道に惑わされつつ決戦の時を待つ。人々の欲望が怒涛のようにオッズに反映される。当てたい、儲けたい、馬券を買う者の思いはみな同じ。結末は誰にもわからない。できればこの疼くような興奮を終わらせたくない。心地よい攪乱に酔い痴れていたい。勝っても負けても、滾る思いはそれで終わりだから。G1の度、めくるめく光景が眼前を過る。往々にして自分の予想とは違う結末が訪れ、馬券も風の藻屑となる。落胆するだけならまだしも、被害額が大きいと胸が焼けるような激しい痛みが走り、目の前が真っ暗になるーでもまあいいか、こんな激烈な感覚はほかのことでは味わえないのだから、これも競馬を嗜む者の幸せと心得よう、と自分に言い聞かせーなんて健気な競馬ファン。台風一過は清々しいが、すぐにまた次のG1台風の到来を心待ちにする。ギャンブラーは本質的にオプティミストなのか。

シナの五にんきょうだい お父上、それに兄弟3人がジョッキーってすごい

子どものころに読んだ絵本で、顔が瓜五つの5人兄弟が力を合わせて難局を乗り越えていく話。確かそれぞれあり得ない特技の持ち主だったはず。ほんわかしたシンプルなイラストが印象的だった。それを久しぶりに思い出したのは、先週土曜日の新潟8レースで木幡3兄弟がJRA史上初の3兄弟によるワンツースリーを決めたからだ。3兄弟がJRAのジョッキーになったというのも平成になってから初めてだそうだ。木幡家の人々、お父様も含めて顔がよく似ている。一番下の育也君はちょっと違う気もするが。名前も兄弟全員に”也”がつき、けっこう混乱させられる。最近周辺では木幡買いと称して木幡兄弟を狙いうちする輩もいて、彼らにとってはこの上なくうれしいワンツースリーだっただろう。このように、絵本と競馬という一見全く関係ないもの同士が思いがけないきっかけでリンクするのが面白い。シュルレアリスムの作家たちに絶賛されたロートレアモン伯爵のマルドロールの歌の有名な一節・解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶然の出会いなんて言葉まで思い出させる。競馬に限らず、文学に限らず、人生のすべてにわたって・・・ミシンと雨傘の偶然の出会いー思いがけない展開に心惹かれる私である。

一握の砂 握れば指の間より落つのは外れ馬券

先週は雨の菊花賞。不良馬場との発表だったが、その上にもう一つ極悪というランクを作ってほしいといつも思う。ロジユニヴァースやオルフェーヴルが勝った時のダービーの馬場って不良なんて言葉じゃおさまらないくらい悪かったもの。三冠レースのラスト一冠はまさにその極悪馬場で争われた。3連単のフォーメーション専門に馬券を買っており、勝つのはデムーロのキセキか、ルメールのアルアインと予想。しかし上位人気ばかりで決まるとは思えなかったので、2、3着には穴っぽい馬を置いた。かねてからここで!と決めていたのが和田騎乗の芦毛ポポカテペトル。長距離中心に使われていて好感を持っていた。とはいえそれより何より決め手はその名前。お気に入りの小説に登場する、悲恋伝説があるメキシコの火山の名前で、デビュー当時から気になって仕方なかった。それに和田はオペラオーのころから応援しているジョッキーで、オペラオーとアルナスラインで菊花賞2着が2回ある。

そしてもう一頭気になっていたのが藤岡佑介騎乗のクリンチャー。藤岡兄は京都コース得意だし、何より内枠で、昔超人気薄で連対したフローテーションとだぶった。素直にこの2頭プラス最初から決めていたサトノアーサー、ダンビュライトを2着に置けばよかったのに、締め切り直前なぜか日刊紙の小さいコラムを読んでしまい・・・そこで推奨していたダービー4着のマイスタイルに浮気心が騒ぎ、結果クリンチャーを3着欄に降格させてしまったのだ。3着欄には他の馬も待機していたので、全頭を2着欄に置く金銭的・精神的余裕はなかった。その前の週、PATの振り込み口座の残高21円という情けない事態に陥ったので菊花賞の前に増資したものの、あまりに外れ続ける予想にもう自信が持てず、弱気になったのだ。直線で積極的なレースをしたクリンチャーにキセキが迫り、ポポカテペトルの姿を認めたときは確勝気分。でもゴールの瞬間、肉眼でわかったー2着は4番・クリンチャーだと。ハナ差の勝負で見間違えるのは100回に1回くらいしかない。果たして私の眼は正しかった。何せクラシックだし、とりたかったー菊花賞。確定して配当を見て更なるショック。つきすぎだ~。2,30万ならあきらめもつくが、1番人気が勝って3連単50万超えるとはー魔が差して大魚を逃した。運がない、勝負弱い( ;´Д`)馬券はいつもPATで購入して、勝馬投票券には縁がないのだが、外すといつも啄木の歌を思い出すー一握の馬券ーいのちなき 馬券のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ、だ。仮想空間で、55万をかすめた馬券がはらはらと風に舞うイメージ。明日は落ちない馬券を買いたいー古馬の頂上決戦・天皇賞・秋、悔いのない予想をして楽しみたい。そう、外れても悔いなきようにね!

 

 

東京競馬場メモリアルスタンドWINS時

昨今、開催外に東京競馬場に足を運ぶのは圧倒的にシニア世代が多い。特に開催時はシニア席が多く設けられているメモリアルスタンドは開催外もシニアが多いため、シニアによるさまざまなドラマが繰り広げられている。もうずいぶん前-アローキャリーが勝った桜花賞の日。後ろに座っていたシニア男性が得意気に連れのシニア男性に語っている。”いやぁ、今回の桜花賞、俺の競馬人生のすべてを賭けていいってくらい自信あるんだよ。勝つのはサンターナズソング(善臣騎乗)だな。来なかったら金輪際競馬やめてもいいよ” 私は岡部騎乗のシャイニンルビーを買っていたのでふんふんと聞いていた。レースが始まってみると、直線であれよあれよという間に池添騎乗の人気薄アローキャリーが突き抜け、2着も猛然と追い込んだ人気薄ブルーリッジリバー。我がシャイニンルビーは3着、サンターナズソングは馬群に沈んだ”(-“”-)”私の馬券も風の藻屑と消えたが、後ろでその御仁たちがぎゃあぎゃあ騒いでいる。”あれっこれ日刊の鈴木当ててるよ!”日刊スポーツを読んでいたらしく、当時の予想屋・鈴木の予想的中に盛り上がっていたのだった。そして最終レースの前に、”最終、鈴木何に本命つけてる?!”と鈴木の予想に興味津々。買う気満々である。外れたら競馬をやめる覚悟の御仁の華麗なる変節ぶりに魅了された私だった。

また、東日本大震災の一年後の3月11日。午前中のレースで蛯名が落馬し、その後全レースで乗り替わりとなった。お昼休みに犠牲者への鎮魂の意を表してジョッキーも整列して黙祷があり、いつもの東京メモリアルスタンドで脱帽して黙祷していると、隣に座っていたシニアが騒ぎ出す。”なんだなんだこれは?!蛯名死んだの?”水を打ったような静けさの中で私は噴き出した。蛯名の落馬とシンクロしたとは言え、この発想ができるのもさすがシニアではなかろうか。その後、連れのシニアに説明されて納得したようだったが。”老人力”を提唱したのは敬愛する故赤瀬川原平氏だが、それがいかんなく発揮されている場所が東京競馬場のメモリアルスタンドであるといえよう。まだシニア席に入る資格がない私は開催外に訪れるのみだが、今後もシニアパワーの炸裂を見守りたいと思う。

 

 

ゴシップコラム 口取り写真で笑っていた迷馬

もう10年以上前の話だろうか。夏の北海道シリーズの只中、東京競馬場に異例のアナウンスが流れた。”第XXレースに出走するゴシップコラム号の性別は牡馬となっておりますが、セン馬であり、これは調教師が届け出を怠ったためです”大体斯様の内容。一斉に失笑が漏れた。去勢明けのセン馬で大幅な体重増(減っているよりいいとは言われるが)、まったくの人気薄で激走、勝利を収めた。その名も馬主である金子氏のセンスの良さがうかがえるゴシップコラム。なんだか笑える話で済ませるところが、当時購入していた競馬雑誌にそのレースの口取り写真が載っていたので驚いた。重賞でもないのに?と訝ったが、笑う馬、として紹介されていたのだ。なんとゴシップコラムはしてやったりとばかりに歯をむき出して笑っていた。その写真をお見せできないのが残念。その一件でゴシップコラム(芦毛)は(個人的には)永遠に記憶される迷馬となった。