ティファニーで朝食を Holiday Golightly トルーマン・カポーティに憧れて

子供の頃この映画を見て、こんなに素敵な世界があるものかと思った。オードリー・ヘップバーンの洗練され切った美しさ、それをさらに引き立てるシックなファッション、活気に溢れるニューヨークの街並み、郷愁を誘うヘンリー・マンシーニの音楽、自分も飼いたかった猫。大人になったらリトルブラックドレスを着て煙草をくゆらせ、タクシーでティファニーに乗り付けたいとまで無謀な野心は抱かなかったものの、10代の私はホリー・ゴライトリーに強烈に憧れた。それまでに見たことのない印象的なキャラクターだったのだ。

原作者であるトルーマン・カポーティの大ファンになったのもこの映画がきっかけだった。ホリーは、なんとなく浮かない気分の時、ティファニーに足を運べば気持ちが晴れ、悪いことなんて起こるわけはないと思えると言う。ホリーにとってのティファニーがまさに私にとってのこの映画で、いやなことがあってもこの映画を見れば一気に心が晴れるほど気に入っていた。だから後にカポーティのインタビューや伝記を読んで彼がこの映画に不満だったことを知るに及んで驚いた。彼の本意を知るには原作を読むしかなく、手に取ったのがBreakfast at Tiffany’sだった。なるほど、疑問は氷解した。カポーティが描いたティファニーで朝食をは奔放に生きるヒロインが真実の愛に目覚める話ではないのだ。都会的で洗練されたおしゃれな作品から人間の心の闇を見据えたシリアスな作品まで、カポーティの提示する世界は一筋縄ではいかない。映画は原作とは別物として楽しめばいいのだろうが、作者としてはまったく意図しない作品に仕上がっていたのが気に入らなかったのだろう。

Breakfast at Tiffany’sは今でもとても思い入れのある作品で、手元にある黄変したペーパーバックを見ると、この本に魅了されて過ごした月日が偲ばれる。冒頭、おそらく今は作家になった主人公が、作家志望だった時代に借りた部屋を追想するシーンがある。屋根裏に詰め込んだような家具でいっぱいの、古い、陰気な部屋だが、ポケットに手を入れてこの部屋の鍵に触れるといつも気持ちが昂揚したー初めての自分自身の部屋で、自分の本があり、鉛筆立てには削られるのを待っている鉛筆があり、作家になるために必要なものすべてが揃っているように思えたから。

このWeb上の部屋は、主人公にとっての初めての部屋と同じようなもの。自分が愛するものについて自在に語れる自分だけの場所。何しろ好みのままを綴る問わず語りなので、顧みられるべくもなく、多くの読者を期待することはできないのは自明の理。しかし安易に大衆に迎合するより楽しい。インターネットという茫洋たる大海の中で生まれては消える泡沫の如きブログであれ、これからここに何を綴ろうか考えるだけであやしうこそものぐるほしけれ。