A chacun son enfer…誰にもそれぞれの地獄がある

中森明菜、松田聖子、山口百恵の歌姫たち三者三様の生き方に触れたインターネットの記事にコメント欄がついていて、どこの家庭でも一つや二つはそれなりの悩みがあるはず、とコメントしていた人がいた。それでこの映画を思い出した。社会派映画監督として知られるアンドレ・カイヤットの1977年の作品で、それはそれは怖~い映画だった。一見幸せそうに見える家庭に潜んでいた地獄・・・吐き気を催すような恐怖を覚えた。話は逸れるが主演した当時のフランスきっての人気女優アニー・ジラルド、何とも汚いおばさんといった雰囲気で、フランス人の好みを不思議に思った。日本で人気があったフランスの俳優と言えば容姿端麗で清潔感のあるカトリーヌ・ドヌーヴやアラン・ドロンだったが、フランス人はいわば腐る寸前の、よく言えば味のある人がお好きなようだ。爛熟期の魅力に敏感なのだろう。素材のよさだけではダメで、人生経験を重ねた大人の風格が求められるのか。確かに、まさに爛熟した、汚れた雑巾の如きアニー・ジラルドの演技は素晴らしかった。とはいえ、セルジュ・ゲンズブールジェーン・バーキン、ロジェ・バディム&カトリーヌ・ドヌーヴ、クリスチャン・マルカン&ドミニク・サンダ、などなど、おじさまと若い女の子のカップルが多いのもフランスである。昔、フランス人歌手のフランソワーズ・アルディが、誰だったか日本の有名人女性との対談で、”フランスの男性は大人の女の魅力がわかるから、若い女ばかりちやほやされる日本とは違って羨ましい”などと言われ、”あらフランス人男性だって若い女の子が好きですよ”とあっさり答えていたのを思い出す。大人の魅力がわかる大人の世界といったフランス観が昭和の日本では喧伝されていたが、若い女が好きなのは男の性、その傾向に国境はない。フランス人女性に学ぶ・・・とか鵜呑みにしないほうがいい。

閑話休題。邦題は愛の地獄。原題がこの、誰にもそれぞれの地獄がある、である。その後、北京語を勉強して、北京語にも”家家都有本難念的経”という諺があるのを知った。”どんな家にも一つは唱えるのが難しいお経がある”、どんな家にも必ず一つは問題があるという意味である。人間が考えることはみな同じ、洋の東西を問わないのだろう。どちらも年を重ねるにつれて心に沁みる。名言だと思う。完全無欠な人間はいない。誰でも自分の中に不完全なもの、満ち足りないものを抱えて生きている。自分の中にある地獄ーそれに気づかないで生きていけたら幸せだろうが、そんな幸運な人は少ないのではないか。人間の一生は自分の中の地獄との闘いでもある。それに侵食されずに生きていくのは大変なことだ。自死を選ぶ人を見ると、恐らく己の地獄に呑み込まれてしまったのだろうと痛ましく思う。ニーチェも、深淵を覗くとき、深淵もこちらを覗いているのだと言った。童話の、王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしました、めでたし、めでたしというエンディングに何の疑問も感じなかった子供時代が懐かしい。人生は重く、苦い。