事実は小説より奇なり-奇を衒うに及ばない現実の不思議

事実は小説より奇なりーTruth is stranger than fictionとは19世紀イギリスの詩人・バイロンの言葉ですが、年を重ねるにつれ、しみじみその通りだと味わい深く感じます。

2020年は世界中が疫病に苦しんだ災厄の年でした。しかし皮肉なことに、負の異常ともいうべき事象に相対するように、一方で正の異常ーというか奇跡のような出来事も同時に起こっていたのです。

愛してやまない競馬の世界。特に、3歳の競走馬にとって重要な三大競走を制した馬を三冠馬と言いますが、三冠馬誕生の確率は0.0017パーセントだそう(*_*)それがなんと今年は牡馬と牝馬がそれぞれ無敗のまま、その偉業を成し遂げたのです。更に牝馬での無敗三冠戴冠は史上初、また牡馬による無敗三冠を達成したコントレイルは、その父ディープインパクトも無敗で三冠を達成しており、親子での無敗三冠達成は史上初。そして同年に牡馬・牝馬が三冠を達成したのも史上初。

これだけでもう出来過ぎた話なのに、二頭が三冠の先で相まみえることとなったジャパンカップには、2つ上の、やはり三冠馬で天皇賞・秋で史上初のG18勝を成し遂げた牝馬アーモンドアイまでもがラストランで参戦((+_+))三頭の三冠馬が対決するのも史上初。全てのファンが固唾をのんで見守ったであろうその決戦の舞台では、アーモンドアイが後輩の三冠馬二頭を従えてG19勝目を挙げて有終の美を飾るなんて、こんな話を小説家が書いたら笑われるのではないかと思うほど-でも実際に起こった、お伽話も遠く及ばない奇跡の如き現実なんですね。・・・そのもう二度とないであろう奇跡が、コロナ禍で無観客あるいはかなり制限された入場者の前で繰り広げられたこともまた皮肉に思えますが、それも運命のいたずらなのでしょうか。

全く次元の違う話で恐縮ですが、“事実は小説より奇なり”の例として忘れられないエピソードがあります。友人の御年76歳の男性は、若かりし日、自宅での法事の宴のあと、隣の部屋で妻と娘が眠っているという状況で、義姉に全裸で誘惑されたのだそうです。彼が言うには、彼女は夫が10年前に失踪していて欲求不満だったのだろうと。。。そんな事情を理解してやるとは彼も優しい(*’▽’)必死に宥めてピンチを切り抜けたそうですが、“俺は本当にどうしようかと思った・・・”と語っていた表情が未だに忘れられません。

生きている以上よくも悪くも想像しえない出来事がたくさん起こります。嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、楽しいこと・・・泣いたり笑ったりできることがそもそも生きている証なのですね。“命あっての物種”これも名言ですね。

 

 

愛と哀しみのボレロー冒頭の引用句が印象的で

もうずいぶん昔、ジョルジュ・ドンのバレエシーンが話題をさらったこの映画を観ました。数組の家族の数世代に亘る物語を描いた壮大なドラマで、複雑な人間関係がよくわからなかったのが残念でしたが、それはさて置き、この映画でどうしても忘れられないのが、冒頭の引用句なのです。

“人間の物語なんて、ほんの二つか三つしかない。それが、まるで今まで一度も起きたことがないかのような激しさで繰り返されていくのだ。ウィラ・キャザー”

(Original Caption) Willa Sibert Cather (1876-1947), American novelist.

はっとするような慧眼ではありませんか。生れ落ちて、成長し、やがて誰かと愛し合い、子孫を残して死んでいく-確かに人間の物語ってそういう意味では似たり寄ったりなのかも知れません。この名言は、20世紀のアメリカ南部を代表する女性作家の一人、ウィラ・キャザーが、開拓者の苛酷な生活を描いた“O Pioneers!”で残したものです。その前後を補うと、“古い物語がまた繰り返されていくのよー奇妙なものよね。人間の物語なんて、ほんの二つか三つしかない。それが、まるで今まで一度も起きたことがないかのような激しさで繰り返されていくのよ。数千年もの間、同じ5つの音を歌い続けるこの国のひばりのように。”と続きます。これは人生に置き換えてみても当てはまる気がします。人生の物語も、同じようなことが残酷にも何度も何度も繰り返されるように思えるのです。年を重ねるにつれ、身に沁みる言葉になっています。

ボレロを踊るドン、息を呑む美しさですね。シルヴィ・ギエムのボレロは全てを支配する女王のように美しく、ドンのボレロは神に捧げる生贄のように美しいといつも思います。恋人だったモーリス・ベジャールが、その手記で、ドンは常々舞台で死にたいと言っていた。そのドンが病院で死んだ、と書いていたのもなぜか忘れられません。

禍福は糾える縄の如し・一寸先は闇

梅雨明けを迎え、太陽が陽炎を作り、蝉が鳴く。タチアオイや向日葵が生き生きと咲き、生命を謳歌する風景はいつもの夏と同じなのに、今年は災厄の年となってしまいましたね。東京が2020年のオリンピック開催地に選出された時、日本中が歓喜して五輪特需を期待したけれど、この暗転を誰が予想しえたでしょう。禍福は糾える縄の如しとは本当だとつくづく思います。幸運と信じたことがそうではなかったのですからね。まさに一寸先は闇。いっそ選出されない方がよかったと、苛酷な運命を恨みたくもなります。でも!だからこそピンチをチャンスに!ですよね。未来のことは誰にも分かりません。言うは易しですが、いつも希望をもって、前向きに、って大切なことだとこのご時世に痛感します。パンドラが禁断の箱を開け、そこからあらゆる災厄が飛び出して人類に襲い掛かかりましたが、それでも箱の一番下には希望が残されていたのですからね。この寓話好きです。

A chacun son enfer…誰にもそれぞれの地獄がある

社会派映画監督として知られるアンドレ・カイヤットの1977年の作品で、それはそれは怖~い映画でした。一見幸せそうに見える家庭に潜んでいた地獄・・・吐き気を催すような恐怖を覚えたものです。話は逸れますが、当時のフランスきっての人気女優だった主演のアニー・ジラルド、何とも汚いおばさんといった雰囲気で、フランス人の好みを不思議に思いました。日本で人気があったフランスの俳優と言えば容姿端麗で清潔感のあるカトリーヌ・ドヌーヴやアラン・ドロンでしたが、フランス人はいわば腐る寸前の、よく言えば味のある人がお好きなようですね。素材のよさだけではダメで、人生経験を重ね、ろうたけた大人の風格が求められるのでしょうか。確かに、まさに爛熟したアニー・ジラルドの演技は素晴らしいものでした。とはいえ、セルジュ・ゲンズブールジェーン・バーキン、ロジェ・バディム&カトリーヌ・ドヌーヴ、クリスチャン・マルカン&ドミニク・サンダ、などなど、おじさまと若い女の子のカップルが多いのもフランスです。昔、フランス人歌手のフランソワーズ・アルディが、誰だったか日本の有名人女性との対談で、”フランスの男性は大人の女の魅力がわかるから、若い女ばかりちやほやされる日本とは違って羨ましい”などと言われ、”あらフランス人男性だって若い女の子が好きですよ”とあっさり答えていたのを思い出します。大人の魅力がわかる大人の世界といったフランス観が昭和の日本では喧伝されていましたが、若い女が好きなのは男の性、その傾向に国境はありません。

閑話休題。邦題は愛の地獄。原題がこの、誰にもそれぞれの地獄がある、です。その後、北京語を勉強して、北京語にも”家家都有本難念的経”という諺があるのを知りました。”どんな家にも一つは唱えるのが難しいお経がある”、どんな家にも必ず一つは問題があるという意味です。人間が考えることはみな同じようなもので、洋の東西を問わないのでしょう。どちらも年を重ねるにつれて心に沁みます。名言だと思います。誰でも自分の中に不完全なもの、満ち足りないものを抱えて生きています。自分の中にある地獄ーそれに気づかないで生きていけたら幸せでしょうが、そんな幸運な人は少ないのではないでしょうか。人間の一生は自分の中の地獄との闘いでもあります。それに侵食されずに生きていくのは大変なことです。自死を選ぶ人を見ると、恐らく己の地獄に呑み込まれてしまったのだろうと痛ましく思います。ニーチェも、深淵を覗くとき、深淵もこちらを覗いているのだと言いました。童話の、王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしました、めでたし、めでたしというエンディングに何の疑問も感じなかった子供時代が懐かしくなります。