マイウェイ

日本にカラオケ文化が浸透して以来、中高年男性の間では定番化していく歌が必ずありますね。還暦を迎えようという頃に胸に響く歌が草の根のように広がっていくのでしょうか。中高年女性の場合はそんなことはないように思えますけど・・・今60代以降の人だったら谷村新司の昴。70代以降 (もっと上?)だったらこのマイウェイとか。尤も今の若い人は両方ともご存じないでしょうが。マイウェイは、日本語詞だと我が道を行くといった内容ですが、もともとはフランス語の歌で、原題は”Comme d’habitude いつものように”。別れの気配を感じ始める恋人たちの歌です。いつものようにコーヒーを飲み、いつものように笑い、いつものようにキスをするが、もう愛し合っていた二人ではないといった詩で、私はどちらかと言えばこのオリジナルバージョンの方が好きです。

オリジナルバージョンを歌ったのはフランスの歌手・クロード・フランソワ。恋愛関係にあったやはり歌手のフランス・ギャルとの別れが歌詞に色濃く反映されていると言われています。余談ですが彼は若くして感電死しているんですね。その非業の死もショッキングなせいか、私には忘れられない歌手の一人です。

還暦を迎えるころに・・・で思い出しましたが、年を重ねた男性が人生を振り返る、小椋佳の山河という歌いいですね。五木ひろし・堀内孝雄バージョンもあるそうですが、小椋佳バージョンが最高だと思います。

モテる男の人

もう20年以上も前に一世を風靡した、失楽園の映画を観ました。当時はいわゆる婚外恋愛にも寛容だったんですね。死に最も近いところに究極の快楽があることを描いている点で、渡辺淳一は三島由紀夫の憂国を意識したのかと思ったら、有島武郎の心中事件がモデルだそうですね。失楽園の二人の道行は軽井沢ですが、そういえば軽井沢で有島武郎終焉の地って碑を見た記憶があります。

この小説が流行ったの凄くよく分かります。日経新聞の連載で、そこにはターゲット読者と思しき中年男性が夢見そうなことの全てがあったのですもの―美女とのデート、旅行、グルメ。50を過ぎ、会社で閑職に追いやられた男性の悲哀というのも共感を呼んだのではないでしょうか。で、映画版で、役所広司演じる主人公の男性が、あ~これはモテる男性の台詞だなとしみじみ思わせる言葉を吐くのです。

相手の女性が鴨とクレソンの鍋が好きと言う。鴨とクレソンって人によっては苦手な取り合わせにも思えますが、彼はすかさず、俺も好きになる!と言うのです。“あ~俺それダメ”とか”俺はちょっと”ではなく、ポジティブでいい返答だと思いませんか。例えばデブ、ではなくふくよか。変な顔、ではなく個性的。派手、ではなく華やか。少しでも肯定的な響きのある言葉は人を幸せにします。あの映画で一番印象的だったのは個人的にはそのシーンでした。

馬連源氏物語(*_*)

このけったいなタイトルがなんだか分かりますか((+_+))亡き父が信奉していた競馬必勝法なのです。無類の競馬好きだった父は、馬券攻略作戦を研究するのが好きでしたーと言えば聞こえはいいですが、どなたかが著した必勝本の作戦に乗るのが好きだったのです。父は馬鹿なのか純粋なのか、まじめな顔して必勝作戦を実践していました。

怪しげな計算機?を数万円で購入して、そこに出走馬のデータ(前走人気、着順、勝ち馬とのタイム差などなど)を入力して穴馬をあぶりだす”5点法”。特注の謎のハンコ(スペード、ダイヤなどの印字)を駆使した馬券作戦。強弱をつけて出走馬全頭の単勝を買う単勝全通り購入作戦。父の時代はもちろん、今の3連系のような破壊力のある賭式はなく、単複・枠連の世界だったので、ある程度まとまった金額を投入しなければ勝ち目はなかったのでしょう。父はそれで随分と負けてきたに違いありません。何とかそれを取り戻したい、競馬で儲けたいと悪あがきして・・・ちなみに父の叔父と言う人(明治生まれ)は、当時は庶民のものではなかった競馬に手を出し(賭け金の単価が高く、富裕層の遊びだったそうです)、周囲の人を随分と泣かせたそうです。それを贖うために退職金も使い果たすはめになったとか。血は争えないのでしょうか(*’▽’)

そんな父が最後に縋ったのが馬連源氏物語。いったいどんな馬券法だったのか想像もつきません。googleで馬連源氏物語を検索してもヒットしないし、もはや幻の馬券作戦となってしまいました。父に詳しく聞いておけばよかったと悔やまれます。この話を友人にしたら、涙を流すほど笑い転げていましたが(それが普通でしょう)、父は至って真剣でした。光源氏を種牡馬に見立て、それとあまたの牝馬との結晶を血統から狙う作戦なのでしょうか。私にはこんなことしか思いつきませんが、全く違う革新的(*’▽’)な(わけないか)馬券作戦なのでしょうね。

 

Akasagarbha-虚空蔵菩薩

松本出身の彫刻家・飯沼英樹さんは、現代を強く生きる女性像を木から生み出しています(高校の先輩に草間彌生さんがいらっしゃるそうです!(^^)!)。もう数年前ですが、三越伊勢丹が恵比寿のウェスティンホテルで開催していた世界の逸品展で初めてその作品を見て、従来の木彫りのイメージを革新するカラフルな彫刻に惹かれました。タイトルの虚空蔵菩薩とは知恵や知識、記憶を授けてくれる菩薩だそうで、梵名のアーカーシャガルバっていうのもなんだか神秘的な感じがして素敵ですね。

彼が作り出す美女は挑発的だったり、頽廃的だったり、どこか淋しげだったり-いずれも視線が強烈で、心を奪われます。しかしこの素材が木だとは一見俄かには信じがたい・・・木の作品にはよく、温もりがあるという形容がされますが、飯沼さんの美女たちにはそれを裏切る無機質なイメージがあり、そこがまた斬新なのでしょうか。アポカリプスなんて言葉も連想されます。美女たちはみな、神に選ばれた預言者のよう・・・会場でご本人をお見掛けしましたが、ソフトな雰囲気で、ディーンフジオカ似❓の素敵な方だなぁと思いました。どこか激しさを感じさせる美女たちとは対照的で、でも内に静かな情熱を滾らせている方なんでしょうね。

 

馬鹿の一つ覚えー読み書きそろばんができても馬鹿は馬鹿

この言葉の重みを痛感したのは割と最近のことー身近に馬鹿を見たので。それが馬鹿と言っても、名門大学を出た上、就職先は高収入で有名な一流企業、海外駐在も経験し、輝けるエリートといった半生を送ってきた人です。しかしその正体は自己愛性人格障害と多重人格障害を患う出来損ないー50を超えて会社に居場所がなくなり、順風満帆に見えた人生が狂い出すと、本性を隠しきれなくなった。メッキが剥げ、情けない小心者が馬脚を現したのです。

とにかく同じことを意味なく繰り返す。納豆が体にいいと聞けばそればかりをパックのまま立ち食い。異常に食い意地が張っており、運動嫌いなのででぶでぶに太っていますが、ダイエットにいいと聞けば鶏の胸肉、きのこを毎日食する。その一方で休みの日ともなれば一日中PCで映画を観ながらお菓子を食べ続ける。もちろんその他に三食はきっちり。どんぶり鉢に山盛りのスパゲティを食べて何がダイエットなのだか。そしてその矛盾にも気づかない。

子供のころ、勉強さえしていれば親に褒められたのでしょう。未だに意味もない英語の勉強に精を出す。中学生時代の参考書も捨てられない。この人はいわゆる捨てられない病でもあり、不要なものは捨てるのではなく全て納戸に収納する。注意すると別人格が出現し、激昂して相手を罵るのだそうです。そんな時は表情も言葉遣いもまるで別人だとか。外では常に仮面をかぶり温厚な人柄を装っているので、私も含め、他人にはそんな姿を想像すらできません。昔、24人のビリーミリガンという本を読み、それで初めて多重人格と言う言葉を知りましたが、身近にそんな人がいたとは夢にも思いませんでした。

試験でいい点数がとれる人が人間として聡明かというと必ずしもそうとは限りません。この人は生涯成熟することなどないでしょう。馬鹿は死ななきゃ治らないという名言もありますが、まさにその通り。

諺って長きに亘って言い伝えられるだけのことありますね。

事実は小説より奇なり-奇を衒うに及ばない現実の不思議

事実は小説より奇なりーTruth is stranger than fictionとは19世紀イギリスの詩人・バイロンの言葉ですが、年を重ねるにつれ、しみじみその通りだと味わい深く感じます。

2020年は世界中が疫病に苦しんだ災厄の年でした。しかし皮肉なことに、負の異常ともいうべき事象に相対するように、一方で正の異常ーというか奇跡のような出来事も同時に起こっていたのです。

愛してやまない競馬の世界。特に、3歳の競走馬にとって重要な三大競走を制した馬を三冠馬と言いますが、三冠馬誕生の確率は0.0017パーセントだそう(*_*)それがなんと今年は牡馬と牝馬がそれぞれ無敗のまま、その偉業を成し遂げたのです。更に牝馬での無敗三冠戴冠は史上初、また牡馬による無敗三冠を達成したコントレイルは、その父ディープインパクトも無敗で三冠を達成しており、親子での無敗三冠達成は史上初。そして同年に牡馬・牝馬が三冠を達成したのも史上初。

これだけでもう出来過ぎた話なのに、二頭が三冠の先で相まみえることとなったジャパンカップには、2つ上の、やはり三冠馬で天皇賞・秋で史上初のG18勝を成し遂げた牝馬アーモンドアイまでもがラストランで参戦((+_+))三頭の三冠馬が対決するのも史上初。全てのファンが固唾をのんで見守ったであろうその決戦の舞台では、アーモンドアイが後輩の三冠馬二頭を従えてG19勝目を挙げて有終の美を飾るなんて、こんな話を小説家が書いたら笑われるのではないかと思うほど-でも実際に起こった、お伽話も遠く及ばない奇跡の如き現実なんですね。・・・そのもう二度とないであろう奇跡が、コロナ禍で無観客あるいはかなり制限された入場者の前で繰り広げられたこともまた皮肉に思えますが、それも運命のいたずらなのでしょうか。

全く次元の違う話で恐縮ですが、“事実は小説より奇なり”の例として忘れられないエピソードがあります。友人の御年76歳の男性は、若かりし日、自宅での法事の宴のあと、隣の部屋で妻と娘が眠っているという状況で、義姉に全裸で誘惑されたのだそうです。彼が言うには、彼女は夫が10年前に失踪していて欲求不満だったのだろうと。。。そんな事情を理解してやるとは彼も優しい(*’▽’)必死に宥めてピンチを切り抜けたそうですが、“俺は本当にどうしようかと思った・・・”と語っていた表情が未だに忘れられません。

生きている以上よくも悪くも想像しえない出来事がたくさん起こります。嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、楽しいこと・・・泣いたり笑ったりできることがそもそも生きている証なのですね。“命あっての物種”これも名言ですね。

 

 

愛と哀しみのボレロー冒頭の引用句が印象的で

もうずいぶん昔、ジョルジュ・ドンのバレエシーンが話題をさらったこの映画を観ました。数組の家族の数世代に亘る物語を描いた壮大なドラマで、複雑な人間関係がよくわからなかったのが残念でしたが、それはさて置き、この映画でどうしても忘れられないのが、冒頭の引用句なのです。

“人間の物語なんて、ほんの二つか三つしかない。それが、まるで今まで一度も起きたことがないかのような激しさで繰り返されていくのだ。ウィラ・キャザー”

(Original Caption) Willa Sibert Cather (1876-1947), American novelist.

はっとするような慧眼ではありませんか。生れ落ちて、成長し、やがて誰かと愛し合い、子孫を残して死んでいく-確かに人間の物語ってそういう意味では似たり寄ったりなのかも知れません。この名言は、20世紀のアメリカ南部を代表する女性作家の一人、ウィラ・キャザーが、開拓者の苛酷な生活を描いた“O Pioneers!”で残したものです。その前後を補うと、“古い物語がまた繰り返されていくのよー奇妙なものよね。人間の物語なんて、ほんの二つか三つしかない。それが、まるで今まで一度も起きたことがないかのような激しさで繰り返されていくのよ。数千年もの間、同じ5つの音を歌い続けるこの国のひばりのように。”と続きます。これは人生に置き換えてみても当てはまる気がします。人生の物語も、同じようなことが残酷にも何度も何度も繰り返されるように思えるのです。年を重ねるにつれ、身に沁みる言葉になっています。

ボレロを踊るドン、息を呑む美しさですね。シルヴィ・ギエムのボレロは全てを支配する女王のように美しく、ドンのボレロは神に捧げる生贄のように美しいといつも思います。恋人だったモーリス・ベジャールが、その手記で、ドンは常々舞台で死にたいと言っていた。そのドンが病院で死んだ、と書いていたのもなぜか忘れられません。

シェリーへの愛

もともと白ワインが好きで、そこからアルコール遍歴が始まったのですが、数年前からシェリーの虜になってしまいました。きっかけは、より度数の高いワインを求めてのことだったかと記憶していましたが、ほかにも理由がありました。1930年代のイギリスの名門校に寄宿する男の子たちを描いた映画、アナザーカントリーを数十年ぶりかで見ていたら、みなでシェリーを飲むシーンがあったのです。シェリーを世界に広めるのに大きな役割を果たしたというイギリス、上流階級ではシェリーを飲む文化が定着していたのですね。いかにも高級そうなカップボードにグラス、その調度品もとても素敵でした。それともう一つ。19世紀の米国人作家・エドガー・アラン・ポーの作品にアモンティリャードの樽というのがあります。積年の仇敵らしき男を、極上のアモンティリャードを飲もうと唆し、地下のシェリー貯蔵庫に連れ出して殺してしまう男の話。アモンティリャードとはシェリーの種類の一つです。カーニバルの最中の出来事で、殺された男は道化師の扮装のまま死んでいきます。鮮やかなイメージ。主人公がなぜ殺したいと思うほどの恨みを抱いたのかには触れられておらず、それが却って不気味な短編小説です。アナザーカントリーとアモンティリャードの樽が、シェリーに傾倒していくきっかけとなりました。

伊勢丹本店の年に一度のお楽しみ、世界を旅するワイン展には、毎年シェリーメーカーのエミリオルスタウが出展しますが、そこを訪ねて綺麗なベネンシアドールの女性にシェリーの説明を受けたりして、色々試しては楽しんでいます。フランスの第二帝政期に皇妃となったウジェニーという女性がいます。スカートを膨らませるクリノリンという釣り鐘型の道具を運ぶバッグをルイヴィトンにオーダーして、ヴィトンの知名度を一気に高めたということは知っていましたが、彼女はシェリーの歴史にも関わりを持っているのだそうです。詳しくは忘れてしまいましたが(残念)、ルスタウがウジェニーのラベルのシェリーを販売していました。ルスタウはベルモットも美味です。

シェリーは辛口から濃厚な甘口まで、どれを飲んでも外れがありません(個人的には)。夏はさっぱりフィノを飲む機会が多いですが、オロロソやモスカテル、ペドロヒメネス、クリーム、もちろんアモンティリャードも、これが一番!とは選びきれないくらい好きです。ペアリングも多岐に亘り、お刺身や冷やし中華なんかとも合わせられるのが凄い。ペアリングチャートも見ていて勉強になります。“樽の中の劇場”というシェリーの本は私のバイブルで、いつ読んでもうっとりします。シェリーって言葉の響きも好きです。上の写真は今年の2月末に開催された世界を旅するワイン展の模様ですが、これが一週間遅れていたら中止になっていたでしょうね。販売員の方もマスクを着用されていましたが、今年も行けて本当によかったと思っています。下はフランスのロゼワインの老舗、エスタンドンのブース。こちらのロゼも大好きです。

口紅

数か月ぶりで外食することになり、久しぶりに口紅をつけました。一瞬にして口元が華やぎ、口紅っていいなと感激。そして鏡の前で何を着ていこうかとコーディネイトしながら、マスクが全てを台無しにすると溜め息をつきました。マスク姿じゃ装う気もなくなります。

子供のころから化粧品が好きでした。母の口紅を爪に塗って遊び、寝具を赤くして怒られたこともあります。若い頃は日本の化粧品メーカーがこぞってキャンペーンを展開し、美女を起用しては化粧品を宣伝していたものです。タイアップするキャンペーンソングがまた軒並みヒットして、中でも印象的だったのが松田聖子のロックンルージュ♪ピュアピュアリップスと矢野顕子の春咲小紅。春のウキウキ気分にぴったりな歌でした。渡辺真知子の唇よ熱く君を語れも好きでした。思い出せば色々。そのもっと前には、キャンペーンガールに真行寺君枝を起用した広告もありましたね。小椋佳の揺れるまなざし。真行寺君枝、神秘的な美しさで憧れました。夏目雅子のクッキーフェースも懐かしい💛

最近配信が始まった山口百恵の楽曲の数々、とっても好きなんですが、その詩にも口紅が何度か登場します。“冬の色”で、♪あなたから許された口紅の色はからたちの花よりもうすい匂いです♪ “初恋草紙”で♪口紅だけは差しましょう 冬の光が集まるよう♪淋し気な口紅もいいですね。

ユーミンにルージュの伝言なんてありましたね。内容は男の浮気をいさめるものですが、軽快なメロディで楽しい歌。尾崎亜美が杏里に提供したコルドバの踊り子という歌にもルージュが登場。こちらは哀しいルージュ。いろんなシーンを彩るアイテムなんですね。

この春、エルメスが満を持してローンチした高級感溢れる口紅、使ってみたいと思っているうちにコロナの災厄。時期が悪かったですね。楽しく口紅をつけて出かけられる日はいつ来るのでしょう。

クイーンS

長かった梅雨が明け、太陽がさんさんと降り注いだ日曜日の東京。かれこれ半年にもなる無観客競馬を自宅で楽しんでいました。その日のメインは札幌のクイーンS。ブランドものに弱い私は重賞に弱いのです。どうしても買わずには済ませられない。夏の牝馬限定戦なんて当たる気しないのに・・・それで馬柱を見ていたら、勝つのはレッドアネモスかスカーレットカラーしかありえないとの結論に達しました。スカーレットはまだしも、なぜレッドアネモスなのか?重賞そこそこ走っているわりには人気がないし、堅く収まるはずはないと思ったのでいい狙い目だったのです。厩舎二頭出しの人気薄でしたしね。コントラチェックはルメール人気だろうし、フェアリーポルカも3連勝はないだろうと。

ゲートが開くとスカーレット嬢は出遅れてしまい、ナルハヤとタガノアスワドが引っ張る流れで流れる流れる。スカーレットは最後方、レッドアネモスも後ろ寄りだったので、1000メートル通過タイム見たときにこれはありかなと思ったけれと・・・直線で前が開いて全てがレッドアネモスに向いたレースでしたね。まともだったらスカーレット嬢でしたでしょうか。

実はレースが始まる直前、友人が愛車の真っ赤なスープラの写真を送ってきたのです。それを見たとき、これはいけるかも!と思いました。オカルト馬券ではありませんが、レッドアネモスに3着がこれまたスカーレットと真っ赤に染まった決着でした。めでたしめでたし。