ベイブ・ペイリー世界一の美女と謳われたスワンー社交界の華

私は20世紀アメリカの作家・トルーマン・カポーティの大ファンですが、その作品にマリリン・モンローのことを描いたA beautiful childというのがあります。モンローが師と仰いだ大女優の葬式にカポーティと共に参列し、その後気ままなデートを楽しむ話で、彼の短編の中でもかなり好きな作品の一つです。

モンローがカポーティに、あなたが知っている一番魅力的な女性は誰?と尋ねるシーンがあり、カポーティは断然ベイブ・ペイリー!議論の余地なしと即答します。自身はゲイであったものの、女性には美と卓越を求めると語り、多くのセレブ女性の友人を持っていたカポーティがそう断言するベイブ・ペイリーってどんな人なのか調べてみると・・・アメリカの上流家庭の出身で、2度目の結婚でCBSの創設者であるウィリアムS.ペイリーの妻になり、セレブ美女の頂点を極めた女性とのことでした。カポーティは彼女のことを、彼女にはたった一つの欠点があった。彼女は完璧だ。そうでなければ彼女は完璧だった。と独特の表現で讃えていますが、あまりに完璧すぎると却ってそれが仇になるといった発想でしょうか。いつも全くすきのない装い・立ち居振る舞いで人々を魅了していたようで、世界のベストドレッサーの殿堂入りも果たしています。

彼女はファッションに敏感なアメリカ人女性に絶大な影響力を持っており、中年に達した彼女が白髪を染めずに自然に任せると、アメリカ中の女性がそれに倣ってヘアカラーをやめたなどという逸話があります。また、スカーフを初めてハンドバッグに巻き付けて見せたのも彼女で、それを真似たスタイリングがあっという間に普及したのだそうです。高価なジュエリーとチープなコスチュームジュエリーを組み合わせるのも得意だったとか。いかにも上品で優雅な女性ですね。美にも経済力にも恵まれ、人々の羨望を集めた彼女ですが、私生活では夫の度重なる浮気に泣かされ、孤独だったと言われています。常に完璧な女性であることを求める夫から受けるストレスで、煙草を手放せなかったとも。銀のスプーンをもって生まれ、更に美貌の持ち主ともあれば幸せになれる確率は高いはず。それでも人生と言うのはままならないものなのですね。

獅子座の女シャネル

フランスの小説家で外交官でもあったポール・モランが描くシャネル像。日本で出版されたのはもう45年近く前のことなんですね。シャネルの香水のボトルをイメージしたような表紙がお洒落です。私がココ・シャネルの名前を初めて知ったのは、シャネル社の美容部長?として来日したフランソワーズ・モレシャン女史のプロモーションでだと思います。当時彼女は日本の女性に対する色々なアドバイスを本にしていました。それを私も読んで・・・そこにシャネルに関するさまざまなエピソードが語られていたのです。一番印象的だったのは、晩年のシャネルのワードローブのこと。住まいにしていたリッツホテルにはシャネルスーツ2着にスカーフとか何とか、ほんの数えるほどの衣裳しかなかったということで、服をたくさん揃えることがお洒落だと信じていた身には衝撃的でした。なんてかっこいい・・・最近はミニマリスムなど流行っていますが、当時は景気も右肩上がりの大量消費時代ーなんでも持ち物の数を増やすことがリッチの証といった風潮がありましたからね。フィリピンのマルコス大統領夫人・イメルダさんの膨大な靴コレクションとか、君島十和子さんのフェラガモコレクションなど思い出します。

で、肝心のこちらの本の話ですが、ヨーロッパの名だたるセレブたちと交流のあったシャネルの人生とその哲学を語っています。私はバレエリュスを率いた天才興行師・ディアギレフのファンなのですが、シャネルは彼とも親交が深かったのですね。シャネルによると彼は、頑固で、寛大で、けちで、そのくせ急に浪費家になるという矛盾の塊。ヨーロッパ中を芸術の擁護者として駆け回りながら、常に一文無しで、死んだときに残したものと言ったらカフスボタンだけだったと言います。これもかっこいい死にざまですね。シャネルは何かを所有することが大嫌いと語っていますが、ディアギレフとはそういう点でも価値観を共有できたのかもしれませんね。

そしてまた印象的なのが、一時シャネルと恋愛関係にあったウエストミンスター卿のエピソード。ウエストミンスターはエレガンスそのものだったが、そのくせ新しいものなど何一つ身に着けておらず、ジャケットなど25年も同じものを着ている始末だったのだそう。それだけいいお品だったということでもありましょうが、エレガンスの真髄に触れている話だと思います。昔、イギリスの貴族は新品の靴を履く前に、まず庭師に履かせて、程よく革がなじんでから自身で着用したという話を聞いたことがあります。確かに高級品と言うのは新品の時は見られたものではありませんものね。金ぴかの成金趣味って感じです。美しく古びた時に本物のエレガンスが醸し出される気がします。

ファッションの一大帝国を築いたシャネルが、高価な布地以上に、価値ある宝石をつけたからと言って、それで女が豊かになるわけではないと言っているのが興味深い。20世紀のフランスの小説家マルグリット・デュラスはその著書”L’amant”で、女を美しくさせるのは高価な化粧品や衣服ではないと書いていましたが、共に慧眼だと思います。他にも富について、モードについて、シャネルの哲学が展開されています。何につけ、この人は物事の本質を見抜く天才だったのでしょう そしてすごく意外だった一言-グレタ・ガルボはスクリーン上における最も素晴らしい女優だったが、着こなしの点では最もいただけない女だったーガルボの映画ってそんなに見たことはありませんが、今度ぜひその着こなしを見てみたいと思いました。

フェリーニのカサノバ

GyaoでHDニューマスター版の放映が始まり、懐かしくなって思わず観てしまいました。長いのでまだ途中ですが、絢爛豪華なフェリーニの夢絵巻を堪能中です。昭和の日本ではドンファンと並んでプレイボーイの代名詞だったカサノバ。尾崎亜美が杏里に提供したコルドバの踊り子という歌にも♪あなたカサノバ 恋の手管と知っていながら騙される♪と歌われています。女性との恋愛遍歴で有名な18世紀のイタリア人ですが、文学、政治学、哲学などなどを修め、錬金術にも通じた才人だったのですね。

水中から巨大な女神が顔を表すカーニヴァルのシーンから圧倒されてしまいますが、この映画のセット凄いですね。カサノバが海を彷徨うシーンの波までビニール状のもので表現していて、虚構の世界ならでこそのリアリティが漂うというか・・・額を剃り上げてかつらを被り、つけ鼻でカサノバを演じるのはカナダ出身の名優ドナルド・サザーランド。この人、ベルトルッチの1900年で演じた残忍なアッチラ?役の印象が私には強いのですが、色々な役をこなす万華鏡のような俳優ですね。それにしてもよくこのキワモノすれすれのカサノバの役を引き受けたものだなと思います。全編艶なるシーンが続きますが、愛の営みの際にカサノバが携帯する、黄金細工の鶏のオルゴールはいったい何なのでしょう?妖しいというか胡散臭い、時にテクノポップを連想させるメロディが流れ、鶏が羽を動かす様子など可愛らしくてふし~ぎな感じ。そしてカサノバについて書きたくなったのはまさにその音楽を忘れられないからなのです。もう30年も前?タモリ倶楽部の名物コーナー・空耳アワーに、なんとカサノバの音楽の空耳投書があったのです。空耳アワーは内容に合わせたムービーも面白く、男性が歩いてきて、ふと小林幸子のポスターの前で立ち止まり、そこに♪結婚する前のさっちゃんがいい~♪とイタリア語がかぶさる-確かにそう聞こえて、あの空耳を発見した人はまさに天才だと思いました。その後、カサノバのサウンドトラックを探してあの歌を聴こうとしたものの、私が見たバージョンにはその歌は含まれていませんでした。今回ニューマスター版で果たして聴けるだろうか?とわくわくしているところです。

多摩川競艇場

この年末年始は多摩川競艇場に足を運んでみました。京王線育ちでその存在は子供のころから知っていたものの、実際に行ったのは初めてです。競馬競輪は嗜むものの、競艇って物凄いコアなファンがいそうでなんだか怖いイメージでした(もちろん競馬競輪にも熱狂的マニアはいるわけですけど、それ以上にディープなイメージ)。多磨霊園駅で降りて南口の無料バス停まで歩くと、灰色の行列が。バスに乗り込む前には、係員の方がアルコール消毒剤を差し出してくれました。バスに揺られること約5分?で到着。コロナの影響でしばらく鉄火場から遠ざかっていたギャンブラーの血が騒ぎます。

初めて競輪場に行ったときもそうでしたが、競艇も、何が面白いんだろうと思っていたのが、足を踏み入れた途端そこはもうパラダイスでした!(^^)!連なる予想屋さん、全国の競艇場を映し出すモニター、モーターの音、颯爽と水面を走りゆくボート・・・冬晴れの暖かい日で、川面に日差しが反射してキラキラ輝いているのもいい景色でした。

多摩川競艇のマスコットがこのレストランの名前にもなっているカワセミ?のウェイキー君。なかなか可愛くて気に入りましたが、名前の由来は何なのでしょう。JRAのターフィなんかとても分かりやすい命名でいいと思いますけどね。このレストランの牛炊というのが名物で美味しいのだそうです。

しかし競艇場のドリンク・フードは高いですね((+_+))ビールが一杯700円とは。2回目に行ったときは、冬なので少し置いても大丈夫だろうと、門前のコンビニでビールを調達していきました。そのすぐあとに緊急事態宣言が出て、競艇場でも飲酒禁止になってしまったので、ちょうどいいときに行っておいたということになるのでしょうか。

大時計を見に外に出て、驚いたのがこの鯉たち。生け簀状のエリアがあって、そこを大きな鯉たちが悠然と泳いでいるのです。近寄ると餌をくれると思って一斉に群れてきました。大時計は思っていたのと全然イメージが違いました。漠然と、時計だから高いところにあるのかと思っていたのです。実際の大時計はちょっとキュートな感じですね。

肝心のレースと言えば、やはり圧倒的に内枠有利で、最初のターンでほとんど頭が決まってしまうのが特徴的ですね。私のように少ない原資で勝負する向きには勝ち目はありませんが、馬でも自転車でもボートでも、レースってなんて楽しいのでしょう。2日とも的中なしで帰路につきましたが、いい経験でした。多磨霊園駅の南口にかりんとうやさんがあり、かりんとうやさんというのも珍しいのでお土産に購入。味のあるお店でしたよ。

マイウェイ

日本にカラオケ文化が浸透して以来、中高年男性の間では定番化していく歌が必ずありますね。還暦を迎えようという頃に胸に響く歌が草の根のように広がっていくのでしょうか。中高年女性の場合はそんなことはないように思えますけど・・・今60代以降の人だったら谷村新司の昴。70代以降 (もっと上?)だったらこのマイウェイとか。尤も今の若い人は両方ともご存じないでしょうが。マイウェイは、日本語詞だと我が道を行くといった内容ですが、もともとはフランス語の歌で、原題は”Comme d’habitude いつものように”。別れの気配を感じ始める恋人たちの歌です。いつものようにコーヒーを飲み、いつものように笑い、いつものようにキスをするが、もう愛し合っていた二人ではないといった詩で、私はどちらかと言えばこのオリジナルバージョンの方が好きです。

オリジナルバージョンを歌ったのはフランスの歌手・クロード・フランソワ。恋愛関係にあったやはり歌手のフランス・ギャルとの別れが歌詞に色濃く反映されていると言われています。余談ですが彼は若くして感電死しているんですね。その非業の死もショッキングなせいか、私には忘れられない歌手の一人です。

還暦を迎えるころに・・・で思い出しましたが、年を重ねた男性が人生を振り返る、小椋佳の山河という歌いいですね。五木ひろし・堀内孝雄バージョンもあるそうですが、小椋佳バージョンが最高だと思います。

モテる男の人

もう20年以上も前に一世を風靡した、失楽園の映画を観ました。当時はいわゆる婚外恋愛にも寛容だったんですね。死に最も近いところに究極の快楽があることを描いている点で、渡辺淳一は三島由紀夫の憂国を意識したのかと思ったら、有島武郎の心中事件がモデルだそうですね。失楽園の二人の道行は軽井沢ですが、そういえば軽井沢で有島武郎終焉の地って碑を見た記憶があります。

この小説が流行ったの凄くよく分かります。日経新聞の連載で、そこにはターゲット読者と思しき中年男性が夢見そうなことの全てがあったのですもの―美女とのデート、旅行、グルメ。50を過ぎ、会社で閑職に追いやられた男性の悲哀というのも共感を呼んだのではないでしょうか。で、映画版で、役所広司演じる主人公の男性が、あ~これはモテる男性の台詞だなとしみじみ思わせる言葉を吐くのです。

相手の女性が鴨とクレソンの鍋が好きと言う。鴨とクレソンって人によっては苦手な取り合わせにも思えますが、彼はすかさず、俺も好きになる!と言うのです。“あ~俺それダメ”とか”俺はちょっと”ではなく、ポジティブでいい返答だと思いませんか。例えばデブ、ではなくふくよか。変な顔、ではなく個性的。派手、ではなく華やか。少しでも肯定的な響きのある言葉は人を幸せにします。あの映画で一番印象的だったのは個人的にはそのシーンでした。

馬連源氏物語(*_*)

このけったいなタイトルがなんだか分かりますか((+_+))亡き父が信奉していた競馬必勝法なのです。無類の競馬好きだった父は、馬券攻略作戦を研究するのが好きでしたーと言えば聞こえはいいですが、どなたかが著した必勝本の作戦に乗るのが好きだったのです。父は馬鹿なのか純粋なのか、まじめな顔して必勝作戦を実践していました。

怪しげな計算機?を数万円で購入して、そこに出走馬のデータ(前走人気、着順、勝ち馬とのタイム差などなど)を入力して穴馬をあぶりだす”5点法”。特注の謎のハンコ(スペード、ダイヤなどの印字)を駆使した馬券作戦。強弱をつけて出走馬全頭の単勝を買う単勝全通り購入作戦。父の時代はもちろん、今の3連系のような破壊力のある賭式はなく、単複・枠連の世界だったので、ある程度まとまった金額を投入しなければ勝ち目はなかったのでしょう。父はそれで随分と負けてきたに違いありません。何とかそれを取り戻したい、競馬で儲けたいと悪あがきして・・・ちなみに父の叔父と言う人(明治生まれ)は、当時は庶民のものではなかった競馬に手を出し(賭け金の単価が高く、富裕層の遊びだったそうです)、周囲の人を随分と泣かせたそうです。それを贖うために退職金も使い果たすはめになったとか。血は争えないのでしょうか(*’▽’)

そんな父が最後に縋ったのが馬連源氏物語。いったいどんな馬券法だったのか想像もつきません。googleで馬連源氏物語を検索してもヒットしないし、もはや幻の馬券作戦となってしまいました。父に詳しく聞いておけばよかったと悔やまれます。この話を友人にしたら、涙を流すほど笑い転げていましたが(それが普通でしょう)、父は至って真剣でした。光源氏を種牡馬に見立て、それとあまたの牝馬との結晶を血統から狙う作戦なのでしょうか。私にはこんなことしか思いつきませんが、全く違う革新的(*’▽’)な(わけないか)馬券作戦なのでしょうね。

 

Akasagarbha-虚空蔵菩薩

松本出身の彫刻家・飯沼英樹さんは、現代を強く生きる女性像を木から生み出しています(高校の先輩に草間彌生さんがいらっしゃるそうです!(^^)!)。もう数年前ですが、三越伊勢丹が恵比寿のウェスティンホテルで開催していた世界の逸品展で初めてその作品を見て、従来の木彫りのイメージを革新するカラフルな彫刻に惹かれました。タイトルの虚空蔵菩薩とは知恵や知識、記憶を授けてくれる菩薩だそうで、梵名のアーカーシャガルバっていうのもなんだか神秘的な感じがして素敵ですね。

彼が作り出す美女は挑発的だったり、頽廃的だったり、どこか淋しげだったり-いずれも視線が強烈で、心を奪われます。しかしこの素材が木だとは一見俄かには信じがたい・・・木の作品にはよく、温もりがあるという形容がされますが、飯沼さんの美女たちにはそれを裏切る無機質なイメージがあり、そこがまた斬新なのでしょうか。アポカリプスなんて言葉も連想されます。美女たちはみな、神に選ばれた預言者のよう・・・会場でご本人をお見掛けしましたが、ソフトな雰囲気で、ディーンフジオカ似❓の素敵な方だなぁと思いました。どこか激しさを感じさせる美女たちとは対照的で、でも内に静かな情熱を滾らせている方なんでしょうね。

 

事実は小説より奇なり-奇を衒うに及ばない現実の不思議

事実は小説より奇なりーTruth is stranger than fictionとは19世紀イギリスの詩人・バイロンの言葉ですが、年を重ねるにつれ、しみじみその通りだと味わい深く感じます。

2020年は世界中が疫病に苦しんだ災厄の年でした。しかし皮肉なことに、負の異常ともいうべき事象に相対するように、一方で正の異常ーというか奇跡のような出来事も同時に起こっていたのです。

愛してやまない競馬の世界。特に、3歳の競走馬にとって重要な三大競走を制した馬を三冠馬と言いますが、三冠馬誕生の確率は0.0017パーセントだそう(*_*)それがなんと今年は牡馬と牝馬がそれぞれ無敗のまま、その偉業を成し遂げたのです。更に牝馬での無敗三冠戴冠は史上初、また牡馬による無敗三冠を達成したコントレイルは、その父ディープインパクトも無敗で三冠を達成しており、親子での無敗三冠達成は史上初。そして同年に牡馬・牝馬が三冠を達成したのも史上初。

これだけでもう出来過ぎた話なのに、二頭が三冠の先で相まみえることとなったジャパンカップには、2つ上の、やはり三冠馬で天皇賞・秋で史上初のG18勝を成し遂げた牝馬アーモンドアイまでもがラストランで参戦((+_+))三頭の三冠馬が対決するのも史上初。全てのファンが固唾をのんで見守ったであろうその決戦の舞台では、アーモンドアイが後輩の三冠馬二頭を従えてG19勝目を挙げて有終の美を飾るなんて、こんな話を小説家が書いたら笑われるのではないかと思うほど-でも実際に起こった、お伽話も遠く及ばない奇跡の如き現実なんですね。・・・そのもう二度とないであろう奇跡が、コロナ禍で無観客あるいはかなり制限された入場者の前で繰り広げられたこともまた皮肉に思えますが、それも運命のいたずらなのでしょうか。

全く次元の違う話で恐縮ですが、“事実は小説より奇なり”の例として忘れられないエピソードがあります。友人の御年76歳の男性は、若かりし日、自宅での法事の宴のあと、隣の部屋で妻と娘が眠っているという状況で、義姉に全裸で誘惑されたのだそうです。彼が言うには、彼女は夫が10年前に失踪していて欲求不満だったのだろうと。。。そんな事情を理解してやるとは彼も優しい(*’▽’)必死に宥めてピンチを切り抜けたそうですが、“俺は本当にどうしようかと思った・・・”と語っていた表情が未だに忘れられません。

生きている以上よくも悪くも想像しえない出来事がたくさん起こります。嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、楽しいこと・・・泣いたり笑ったりできることがそもそも生きている証なのですね。“命あっての物種”これも名言ですね。

 

 

愛と哀しみのボレロー冒頭の引用句が印象的で

もうずいぶん昔、ジョルジュ・ドンのバレエシーンが話題をさらったこの映画を観ました。数組の家族の数世代に亘る物語を描いた壮大なドラマで、複雑な人間関係がよくわからなかったのが残念でしたが、それはさて置き、この映画でどうしても忘れられないのが、冒頭の引用句なのです。

“人間の物語なんて、ほんの二つか三つしかない。それが、まるで今まで一度も起きたことがないかのような激しさで繰り返されていくのだ。ウィラ・キャザー”

(Original Caption) Willa Sibert Cather (1876-1947), American novelist.

はっとするような慧眼ではありませんか。生れ落ちて、成長し、やがて誰かと愛し合い、子孫を残して死んでいく-確かに人間の物語ってそういう意味では似たり寄ったりなのかも知れません。この名言は、20世紀のアメリカ南部を代表する女性作家の一人、ウィラ・キャザーが、開拓者の苛酷な生活を描いた“O Pioneers!”で残したものです。その前後を補うと、“古い物語がまた繰り返されていくのよー奇妙なものよね。人間の物語なんて、ほんの二つか三つしかない。それが、まるで今まで一度も起きたことがないかのような激しさで繰り返されていくのよ。数千年もの間、同じ5つの音を歌い続けるこの国のひばりのように。”と続きます。これは人生に置き換えてみても当てはまる気がします。人生の物語も、同じようなことが残酷にも何度も何度も繰り返されるように思えるのです。年を重ねるにつれ、身に沁みる言葉になっています。

ボレロを踊るドン、息を呑む美しさですね。シルヴィ・ギエムのボレロは全てを支配する女王のように美しく、ドンのボレロは神に捧げる生贄のように美しいといつも思います。恋人だったモーリス・ベジャールが、その手記で、ドンは常々舞台で死にたいと言っていた。そのドンが病院で死んだ、と書いていたのもなぜか忘れられません。